連続百名店小説『バカみたいに真っ直ぐな』六夜(ジンコック/淡路町)

エキストラ俳優・宮本建。演技力は誰にも負けないと自負するも、芽が出ず不貞腐れる日々を過ごす。
そんなある日の現場、建は同じエキストラ俳優の山田ハルカに出逢った。前向きで優しい姿勢で場を和ませる彼女を目の当たりにし、建は真っ直ぐ夢を追おうとする。

  

「宮本の喫緊の課題は滑舌だ。まずは只管これを読み上げなさい」
「…外郎売りじゃないですか」
「ああそうだ。これを暗唱して、澱みなく読めるようになるまで演技指導はさせない」
「なんてこった…」
「だいじょぶだいじょぶ!建くんなら3日あればできるね!」
「山田、他人事みたいに言うけどお前もだ」
「は、はい!頑張ります!」

  

建はハルカの家に上がり込み、2人で外郎売りを叩き込む。
「のりゃにょりゃい、のりゃにょりゃい…ダメだどうしてもここが力抜ける」
「だいじょぶだいじょぶ!1文字ずつゆっくり言おう」
「の…ら…にょ…らい」
「そうそうそう!三線と同じね、じっくりやろう」

  

「でしゃ親方と申すは…」
「でしゃ?違う違う、それは『せっしゃ』って読むんだ」
「お江戸をほって」
「お江戸をたって!」
「あいしゅうこたわらいっしょくちょう」
「ダメだこりゃ。でもまあ難しいよな、先ずは一緒に意味考えながら読解しようか」
建はハルカに、外郎と聞くと和菓子のイメージがあるけど元々は様々な効能を持つ薬のことを指しているとか、小田原は東京から新幹線で30分ちょっとの場所であるとか、外郎売りの持つ背景を丁寧に解説した。ルビを振ったり意味の切れ目にスラッシュを書き込んだりして、台本は一夜にして真っ黒となった。
「俺は滑舌を頑張る。ハルカは内容理解、頑張ろうね」
「任せた!」
「それを言うなら『かしこまりました』だろ…」

  

二人三脚で外郎売りに取り組んでいる内に、いよいよ同居をしても良い関係性になった2人。家賃を節約したい気持ちもあったから、事務所に比較的近い神田に新しい部屋を借りて同棲することにした。実家の母親にビデオ通話をするハルカ。
「もしもしお母さん?突然の報告でごめんなんだけど、この度付き合っている相手の方と一緒に住むことになりました」
「あら良かったわね」
「紹介できてなくてごめんなさい。今一緒にいるから映すね」
「初めまして。ハルカさんとお付き合いさせて頂いております宮本建です。ハルカさんの前向きで明るい姿勢に励まされております」
「そんな、ありがとうございます。うちのハルカは昔から誰に対しても優しくてね、でもグイグイいくから迷惑になってないか心配で」
「いえいえ。引っ張ってもらって助かってます。私もハルカさんの頼りになれるよう精進します」
「ハルカのこと、よろしくね。何かあっても、一緒に乗り越えてくださいね」
「お母さん、お父さんにも報告した方がいいよね?」
「さすがにした方がいいね。したくない気持ちはわかるけど…」

  

2日後のエキストラの現場。順調に撮影が進んでいた矢先のことであった。
「ハルカはどこだ!」
いかにも不審者っぽい男の声であった。監督の制止も意に介さず、演技中のハルカの元へ接近する。
「ハルカ!」
「お父さん⁈」
「聞いたぞ、エキストラの男と付き合ってんだってな!俺は許さねえからな、とっとと別れろ!」
「お父さん!それだけは…」

  

「マジかよ、ハルカの父ちゃん、朝岡堅次かよ」
「実力ないくせに偉そうな武勇伝かますんだよな」
「よくあんな父親で人の良いハルカさんが育ったものね」
エキストラ仲間が陰口を叩く中、建が堅次に話しかける。
「教えてください、俺の何がいけないんですか?」
「ハルカは売れることを夢見ている女役者だ。その夢を支える人には、財力で彼女の生活を保証してもらわなければならない。お前みたいなしがない男にそれができるというのか」

  

正論と言われれば否定できない物言いに、建は屈してしまった。
「さあとっとと別れるんだ。ハルカ、お前の住む家は特定したからな。こんな汚い男と一緒にいるところ見かけたら引っ叩くぞ!わかったか!」
そう捨て台詞を吐いて堅次はスタジオを去っていった。ハルカは言葉を失ってしまった。
「一体どういうことなんだよ!」何も知らないエキストラがハルカに苦言を呈する。
「気持ちはわかるけどよぉ」建が言い返す。「ハルカは悪くねぇだろ。あの狸親父が全部悪いんだ」
「そうだぞ」エキストラ仲間が同調する。「ハルカちゃんは何の澱みもないお方だ。どんなにどんよりした現場でもみんな明るくしちゃう、聖母みたいな存在なんだ」
「そ、そうなのか…悪かったよ、ごめんなさい」
「わかってくれて嬉しいよ。さ、切り替えて撮影だ!不審者に場を乱されても、カメラは止めない!」

  

この日の撮影は正午過ぎに終了した。堅次からの圧力などは無視して神田へ帰る2人。すぐ家に行くと堅次が待ち構えていそうだったから、一先ずジンコックというカレー店の行列に並ぶ。12:40くらいに到着し、自販機の角を越えて13〜4人と長めの行列ができていた。時間稼ぎには丁度良いかもしれない。

  

「ごめんね建くん、こんなことになってしまって」
「まさか怒鳴り込んでくるなんて、誰も予知できないよ。ハルカは悪いことしてない、謝らなくて大丈夫」
「ありがとう。お父さんは私が5歳の時離婚したんだ。お母さんは気を遣ってあまりお父さんの話はしないんだけど、ネットを見るとお父さんへの悪口がすごくてね」
「お義父さんのことあまり知らないんだけど、そんなに評判良くないんだ?」
「今は演出家やってるらしいんだけど、演技力がないくせにダメ出しが多すぎるって。ちょっと読んでみて」
「人格否定は当たり前、飲みの席でもアルハラセクハラ祭り、平気で仲間から金借りて返さない、大物に気に入られたことを延々と自慢するけどその大物からは性格の悪さを懸念されて縁を切られた、SNSは絵に描いたようなおっさん丸出し構文…酷い言われようだな」
「演技論自体は勉強になりそうなんだけどね、どうしても、ね…」
「厄介な問題だな」

  

漸く後2人3人のところまで列が進み、メニューを窺い知ることができる。ノーマルメニューはインド風かカシミール風か、チキン・ポーク・ビーフのどれかなど選択肢が地味に多い。

  

下を見てみると、日替わりのカレーが4種ラインナップされていた。ノーマルには無い具材の組み合わせがあったり、ノーマルにあるものは値引きされているから、来店回数が少なく拘りが無い内は日替わりから選ぶのが賢明かもしれない。

  

テーブル席もあるが、丁度カウンターが2席並んで空いたためそこに座る。建はハルカをカウンターの端に座らせ、自らはパーソナルスペースに無頓着な隣の中年男性の圧を受けることになった。

  

建は日替わりで安くなっていたビーフと野菜のカリーを注文した。ルーに関して、多様なスパイスによる辛さのパンチが来るが、寝かせることによりコクが生まれていて、スパイスカリーの弱点を克服している。具材に関しても、柔らかく煮込まれた肉、フレッシュさを残した野菜と一流の仕上がり。

  

ハルカは店内メニューにあった、クリームコロッケがついた1050円の日替わりインド風カリーを注文し、クリームコロッケを半分だけ建にあげた。これがかなりミルキーであり、スパイシーなカレーとのコントラストがくっきりしている。サクッと揚がった衣により甘ったるさを回避していて、さすが名物となるだけある。本当は1人1個ずつ食べたいところであるが、2人には未だそれをできるだけの稼ぎが無い。

  

「もう大丈夫かな、お義父さんいないよね?」
「わからない。でもウロウロしてても仕方ないから帰ろう」

  

家の前に堅次は居た。2人で行動している様を見て顔を真っ赤にしていた。
「おい、何で俺の言うこと聞かねえんだ?あ?別れろ、って言われたら普通別れるだろ。何堂々と一緒に歩いてんだよ?何でこんな簡単なことできないのかね。あ、馬鹿だからか?あの母さんに育てられたらそりゃ馬鹿になるよな。沖縄生まれの学もないし柄も悪い女に育てられてこんな出来損ないになっちまった、ああかわいそかわいそ…」

  

「黙れクソ親父!」
そう叫んだのはハルカであった。いつも怒らず優しいハルカが初めて声を荒らげたのを見て絶句する建。
「それが父親に対する言い方か⁈」
「そもそもお前父親じゃないし。私とお母さんのこと見捨てて好き勝手やってみんなを困らせる奴をお父さんとは呼びたくない!」
「黙れ小娘が!」
ハルカに襲い掛かろうとする堅次を制止する建。拳が上手く入り、堅次はその場に倒れた。
「け、警察呼ぶぞ…」
「だとしたら捕まるのはあなたの方です。身勝手で理不尽な理論で人を脅迫したのですから。ハルカさんは誰にでも優しく、荒んだ空気を清らかにしてくれる良い人です、あなたとは違ってね」
「…」
「そんなハルカさんに心を救われた身として、あなたの蛮行・差別的発言は容認できません。私にはハルカさんに恩返しをする義務があります。人気俳優になる夢に向かって、共に歩むことを誓いました。今後ともよろしくお願いいたします」
「…好きにしなさい。俺はもう関わらねぇ」
そう言って堅次は去っていった。

  

「建くん…頼もしいよ」
「ボクシング習ってて良かった。まあ人を成敗するのは本望じゃねぇけどさ」
「ありがとう。…でもまだちょっと心がソワソワする」
「じゃあ三線弾こうよ」
「そうじゃん三線があるじゃんね。弾こうか!」

  

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