エキストラ俳優・宮本建。演技力は誰にも負けないと自負するも、芽が出ず不貞腐れる日々を過ごす。
そんなある日の現場、建は同じエキストラ俳優の山田ハルカに出逢った。前向きで優しい姿勢で場を和ませる彼女を目の当たりにし、建は真っ直ぐ夢を追おうとする。
その日の撮影もまた、不器用な監督とそれに苛つくスタッフの衝突がありスムーズには進行しなかった。それでもハルカは文句ひとつ言うことなく、寧ろエキストラ達の士気を高める。
「タカシくん水飲みたい?あそこに下水道あるね。汲んでこようか?」
「げ、下水道⁈…ハルカちゃん何言ってんの、ウォーターサーバーでしょあれ」
「あ、ウォーターサーバーね!そっかそっか!」
「まったく、ハルカちゃんは天然なんだから」
「でもそこが良いんだよねハルカちゃん。いつも癒されてるよ」
「ありがとうシュンキくん」
「シュンキじゃなくてトシキだけどね」
馬鹿らしくも微笑ましいやり取りに触れ、普段撫然とした態度をとる建も笑みを浮かべてしまう。絶望という名の砂漠に湧くオアシス、ハルカ。撮影が終了し家に帰ると、ハルカのいない寂しさを覚え再び陰気になってしまう。
「建!アンタいい加減就職しなさいよ」
「うるせえな母さん。今さら就職なんてする気無いから」
「売れっ子俳優なんてそう簡単になれるもんじゃないでしょ。安定した収入がないと、アンタも私たちも後で困るんだから。もう諦めなさい」
「俺の人生なんだ、俺のやりたいようにやらせろ!」
「何てこと言うのよ、この親不孝者が!」
怒りに任せ電話を切る建。しかし将来に対する心配については的を射た指摘に思え、大きな不安に苛まれる。
「ハルカちゃんがいたら、何て言って俺を宥めてくれるかな…」
建にとって、ハルカはすっかり心の拠り所となっていた。裏を返せば、ハルカは建にとって欠かせない存在ということであり、ハルカの温もりがなければ平静を保つことすら困難な状態に陥っていた。
以後建は同じ事務所のエキストラ俳優から噂を聞くなどして、ハルカが参加しそうな案件を選ぶようになった。しかし2件3件と空振りが続き、もう二度と会えないのではないかと悄気てしまった。
ロスを抱えたまま1ヶ月が経とうとしていた頃、新宿のスタジオで2日がかりの撮影を行う案件が飛び込んで来た。建はこの撮影を最後に、演技の世界から足を洗う心づもりでいた。
スタジオに向かうため新宿駅で下車する。いつの時代も人で溢れており、気の立ちやすい建はちんたら歩く外国人や歩きスマホに業を煮やしていた。
JR新宿駅の東西自由通路を東口方面へ行き、丸ノ内線へ続く階段の少し手前の左脇に、モダンな雰囲気とは一線を画した小道がある。そこには立ち食い蕎麦屋、そして目当てのカフェ「BERG」が相対している。
カフェとは言っても、ビールやシャルキュトリーの取り扱いもあり、ビアホールとしての利用も可能である。建も大学時代のノリであれば浴びるほどビールを飲むところであるが、現実を知った今の身分ではランチセットを頼むのが関の山である。
充電器を置いて立ちの1席を確保し注文に向かう。所狭しと書かれたメニューは少しわかりづらいが、「ランチサービス」の左上にある「南国スパイシー鶏と野菜と豆のカレー」を選び、飲み物がついた760円のセットにした。飲み物はコーヒーと書いてあるが、実際は紅茶も選べ、数種類ある中から金木犀の茶にした。
建はひたすら就職のことを考えていた。演劇一筋の人生だったから、社会人としての常識など持ち合わせていない。いや、常識なんてクソクラエだ、と今までの自分なら一蹴していたけど最早そんな余裕は無い。飲食店の接客経験を活かして営業職か?でもノルマとかきつそうだし、顧客から怒鳴られるのは御免だ。ガテン系の仕事をこなす体力も無いから、事務職しかない。そしたらどうやって仕事を探すのか?ネットで探せる?それともハローワーク?勝手がわからなさすぎる。どうしたものか…
そんなことを考えるうちにカレーが出来上がったため取りに行く。金木犀の茶はしっかり金木犀の香りが感じられる、雑味の無いすっきりとした紅茶である。
カレーは兎に角トマトの旨味を感じられ、雑穀米との相性が良い。豆、ブロッコリー、椎茸など多彩な具が入って栄養も満点。どちらかと言うと料理研究家や近所のカフェが作りそうなカレーであり、本格派を求める人には合わないかもしれない。また、建のような大食いには量が少なく感じる。
何となく満たされない気持ちを抱えたまま現場に入る。この2日間の撮影が過ぎれば役者人生は終わりだ。持てる全ての力を、最後のエキストラに賭ける。
すると控室にハルカがいた。その姿を目にした瞬間、建は号泣した。
「ハルカ…辞めたくなかった俺!」
「どうしたの建くん?何で辞めるの?」
「俺、ハルカがいないと心が落ち着かないんだ。ハルカのいない現場じゃ、俺は何もできなくてさ…」
「建くん…」
「ハルカに会えて良かった。これで俺、また演技に打ち込めるよ」
「ハルカちゃん、靴が左右違くない?」エキストラ仲間の1人が指摘する。
「あ、ホントだ。慌てて違うの履いてきちゃった…」
「片方パンプスで片方ローファー。違いすぎるだろ!」
建の愛あるツッコミに、現場は笑いに包まれた。撮影初日は気が荒れるような場面も無く終了した。
しかし2日目、ハルカは入り時間になっても現場に姿を現さなかった。
「俺、変なこと言っちゃったかな昨日?」自分の責任ではないかと気を揉む建。
「いや、ハルカちゃんは収録をすっぽ抜かすことなんてしないはずです。抜けてるとこは多いけど、仕事に対しては真面目ですから」
「だよね。何かあったに違いない」
その時、外でスタンバイしていたスタッフの電話のやり取りが聞こえた。
「え?来られない⁈」
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