連続百名店小説『トラベルドクター』第5話(とんかつあづま/今市)

トラベルドクター・建。末期がんなどで余命宣告を受けた人々へ、人生最後の旅行を企画しサポートするのが彼の使命である。ある日プライベートで足利を旅していた建は偶然、おばあちゃんに最後の旅をプレゼントしたいと言う江森親娘と出会った。
*この物語はフィクションです。実在する「トラベルドクター」様とは関係ありません。実際のバリアフリー対応については店舗にお問い合わせください。

  

とんかつ店への移動中、建は明里の持っている巾着に「原田明里」と書いてあるのを見た。
「(ああ、そういうことか…)」
「どうしました、建さん?」
「あ、いや、その巾着、小さい頃からずっと使っているのかなぁって」
「これもおばあちゃんが作ってくれたんです!」
「そうだよね。そりゃこんだけおばあちゃんっ子になるわな」

  

目当てのとんかつ店「あづま」は国道121号沿いにある。日が暮れると真っ暗闇に包まれるような場所であり、少し裏の道を通ろうものなら最早肝試しである。

  

建の作戦通り、一行は開店前に到着し一番乗りで入店することができた。まず江森家の3人が角を挟んでカウンター席に並び、建らスタッフは座敷に上がった。間も無くして2人組が1組、スポーツチームらしき16人の集団が押し寄せ大盛況となった。満席とはいかなくとも、これだけ客が多いと提供はかなり遅くなる。

  

名物はロースカツであるが、鰻を食べ満腹になっていた建は盛合せ小を選択した。色々なものを少しずつ食べたい江森家はロースカツと盛合せ中を頼みシェアすることにした。

  

暫くしてカウンター席に常連の男性がやってきた。1人で新聞を読み、大将が出てくると少しばかり世間話をしていた。再び大将が調理場に戻ると、その男は同じカウンターにいる明里に話しかけた。
「お嬢ちゃん、この辺の子かい?」
「いえ、私たち足利から来ました」
「ほう」
「おばあちゃんが日光に遺した忘れ物を取りに行きたいって」
「忘れ物?」
「50年前に日光にいた男性と恋に落ちたんです」
「50年前か。もう覚えてないんじゃないかな。その男性の名前は?」
「川田甚六さんです」
「あれ、その名前聞いたことあるぞ」
「本当ですか?」
「思い出した、日光彫り職人の方だ」
「日光彫りですか…」
「でもご健在かどうかはわからない」
建はスマホで調べてみたが、何も情報を得られない。
「有名な方なんですか?」建が座敷から降りて訊ねる。
「有名ってほどではないかな。でも聞いた話によると、ある日突然日光彫り職人を志して家を出たとか」
「そういうことだったの…突然いなくなった理由」
「一人前の職人になるまでは家族にも会わないし恋もしない、ってやつだろうね。意固地すぎやしないか、って思うけど」
恋の果てた理由を知り衝撃を受けたおばあちゃん。
「何か手がかりありますか?何でもいいんです」明里が男性を問い詰める。
「いやあ、知り合いとかではないからね。力になれなくてごめんな」
「何でもいいので!」
「いいのよ明里、おばあちゃんは真相を知れただけで幸せです。ここからは純粋に旅を楽しみたいな」
「お婆さま、良かったですね」建がその場を上手くまとめた。

  

注文から40分、ここでようやく江森家の元にとんかつが登場した。その次に建らのテーブルにも料理が到着。盛合せ小に抑えてもなお1つ1つのタネがとにかく大きく、しかも揚げ方が都心の高級とんかつとは違いワイルドな印象を受ける。食べきれないのではないかと戦慄するが、一口食べればその心配は杞憂に終わる。

  

まずヒレカツ。とても分厚いが、歯を入れるとすぐ噛み切れるくらいに柔らかい。これならおばあちゃんでも食べられるし、脂身がなくても身の旨味、ほのかな甘みがあって満足する。盛合せ大ならこれが2つついてくるというから恐れ入る。

  

カニコロッケ。誰も「クリーム」とは言っていない。クリーミーに味付けされたポテトにカニのエキスが染み込んでいる。カニの身は無くとも味わい深く、またもや大満足の一同。
料理を堪能しつつも、楽しそうに食事する江森家を見守る建。おばあちゃんは確かに十分だと言っていたが、本当は甚六さんに会いたいのではないか。でもあまり勘繰るべきではないし、一番優先すべきことはおばあちゃんの体調管理である。

  

エビフライは長さが特徴的。身自体は引き締まっているとは言えないが、妙にプリプリという訳でもない。力強い衣にややマスキングされているが旨味は確か。ここにタルタルソースがあれば、脳内にあるエビフライ像と重なって美味しさが倍増すると思われる。

  

「あのすみません、もう1時間以上待たされてるんですけど。他の皆さん食べ終わってますよね」
多幸感に水をさす、放置された大人数集団の苦言。至極真っ当なクレームではあるから否定はしないが、混雑時は1時間以上待つ可能性もあるというのはこの店の常識であり、いかに口コミの予習が大切かを思い知らされる瞬間である。その点建は下見までするわけだから余念がない。立派な職人技である。

  

「ありがとうございました、とっても美味しかったです!」満面の笑みの明里。張り詰めていた雰囲気も、おみそしるを飲んだ時のように少し和らいだ。
「ワイルドな揚げの中に、厚い肉を柔らかく食べさせたり、ポテトと蟹の味わいを引き出したりする繊細な技が込められている。待つ価値あるとんかつですね。余計なお世話かもしれませんが、ブレないでください」遅れて会計した建は饒舌だった。

  

旅館に戻ると、おばあちゃん念願の温泉タイム。女性スタッフが丁寧に体を支え入らせる。
「まさか温泉に入らせてもらえるなんて、私はなんて幸せ者なんでしょう」
「温泉はトラベルドクター最大の醍醐味ですからね」
「いいわねぇ、明日もよろしくお願いします。できればあの人に会いたいわねぇ…」

  

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