トラベルドクター・建。末期がんなどで余命宣告を受けた人々へ、人生最後の旅行を企画しサポートするのが彼の使命である。ある日プライベートで足利を旅していた建は偶然、おばあちゃんに最後の旅をプレゼントしたいと言う江森一家と出会った。
*この物語はフィクションです。実在する「トラベルドクター」様とは関係ありません。実際のバリアフリー対応については店舗にお問い合わせください。
無事旅行の日を迎えた一同。建らを乗せた介護タクシーが江森家の前に停まる。
「おはようございます!」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「明里さん、素敵なお召し物で」
「これですか?『チキン&ベアー』のシャツです」
「おばあちゃんから貰ってとても気に入って。ずっと着ているんですよ」
「褒めてもらえたの初めてです。みんな『独特』とか言うから」
「そうなんですか?めっちゃ似合ってますよ。素敵な思い出、作りましょうね」
ホスピスでおばあちゃんを拾い、いよいよ日光へ向けて出発する。
「建さん、よろしくお願いします。とても楽しみだわ、久しぶりの外の世界だからね」
「万全の体制でサポートしますので、安心して心ゆくまで楽しんでください!」
「はい。明里もこういう機会設けてくれてありがとうね」
「おばあちゃんのためなら何でもするよ!」
「明里さんって本当にお婆さまのこと大好きですよね」
「そうですね。いつも懐いてくれる」
「明里さんは理想のお孫さんだと思います。私なんて10歳過ぎたらおばあちゃんと距離置くようになって、母親に『労ってやれ』って叱られました」
「反抗期とかあるからね。でも明里はずっとそばにいてくれました。明里の笑顔見られるだけで、私は幸せでした」
北関東道、東北道、日光宇都宮道路を経由し1時間強、最初の目的地である魚登久に到着した。大正時代創業、今市を代表する鰻の老舗ではあるが、近年リノベーションしたらしく、今時の高級旅館のような佇まいをしている。1階の大部屋、江森家で1卓、その隣にトラベルドクタースタッフで1卓確保してもらった。
「おばあちゃん、特うな丼1つ食べきれる?」
「ちょっと多いかもね」
「じゃあお母さんは1人で1つ頼んで、私とおばあちゃんで1つをシェアしよう」
一方の建はうな重と肝焼きを注文した。本当は特うな丼にした方が、ご飯の中から鰻が出てくるから間違いなく面白いのだが、建は長方形の蓋をパッカーンと開ける瞬間が好きなため敢えて重を選択した。
「建さんはうな重なんですね。お重の方頼む人初めて見ました」おばあちゃんにさえつっこまれる建。
「特うな丼の方が普通でしたよね…」
「いえいえ、好きに頼んでいいですよ」
建の元に肝焼きがやってきた。本体の部分は思ったより脂が載っている一方、ひもの部分がブリンブリンとしていて焼きもよく入っていたため、総じて臭みは少なかった。
「それにしても懐かしいわね。50年ぶりよここ来るの」
「50年ってすごいですよね」
「昔はよく日光来てたからね。本当に昔の話だけど」
おばあちゃんにはかつて、日光に住む恋人がいた。足利から日光まで、長い時間をかけて会いに行っていた。しかしある日会いに行こうとしたら、待ち合わせ場所姿が無かった。電話をかけてみても親が出て、息子のことは知らん、など言われ門前払いされるだけだった。以降音信不通となり、そのうち地元でパートナーを見つけ日光からは足が遠のいていた。
「人生の終わりを間近に控えて唯一の心残りが50年前の恋人。漸く決心がついた、日光に行こうという決心が」
懐かしの鰻のお出まし。どろっと解ける身に若干のクセがあるが旨味もちゃんとある。しかし皮目がぷるっとしているとか、脂が載っているなどの特徴は見出せず、鰻を食べ慣れた人にとっては退屈なのかもしれない。それでも明里やおばあちゃんは美味しそうに食べているから何の問題もない。
「美味しかったわ。久しぶりに味のある食事をした」
喜ぶおばあちゃんの顔を見て、明里も建もまた嬉しそうであった。
「あら建さん、椎茸お苦手なんですね」今度は明里につっこまれる建。
「冷製玉子焼きに椎茸の味は合わなくて…取り除いたら美味しかったです」
「まあ人には何かしら苦手な食べ物ありますよ。明里だってイカやタコ食べないもんね」
その後介護タクシーは鬼怒川方面へ向かう。途中明里のリクエストでさる軍団に立ち寄り、おばあちゃんもパフォーマンスを堪能していた。そして旅館にチェックインし、とんかつ屋へ出発するまでの時間一家は水入らずで過ごした。
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