連続百名店小説『トラベルドクター』第3話(ココ・ファーム・カフェ/足利)

トラベルドクター・建。末期がんなどで余命宣告を受けた人々へ、人生最後の旅行を企画しサポートするのが彼の使命である。ある日プライベートで足利を旅していた建は偶然、おばあちゃんに最後の旅をプレゼントしたいと言う江森一家と出会った。
*この物語はフィクションです。実在する「トラベルドクター」様とは関係ありません。

  

その時、母が主治医の胸ぐらを掴む。
「うちの娘に何てことを言うのです!」
「離せ!暴力ですよ」
「人に暴言を吐くような自己中に言われたくはありませんね」
「お母さん、落ち着いて!」
「そうですよ、手を出すのは…」建も母を諭す。
「いや、落ち着けません。心から信頼できる人たちのこと、馬鹿にされたら」
「…」

  

建さんの言う通り、明里はおばあちゃんの愛をたっぷり受けて育ちました。誕生日には大好きなドラゴンボールの漫画やゲームをプレゼントし、私の帰りが遅い日は自慢のタルタルチキンを作ってあげた。剣道の試合に負けて悔しがっていた時には慰めてくれた。お陰で明里は誰に対しても心優しい素直な子に育ったと思います。そして今、明里はおばあちゃんに恩返しをしたいと考えている。何ができるか色々調べていた。そしたらトラベルドクターの建さんに出逢った。プライベートにも関わらず対応して下さって、丁寧に話を聞いて下さります。私たちはそういう優しい方々にお世話になりたい。

  

「お勉強ができても、人の心がわからないような者に医者をやってもらいたくはないですね。あなたの方こそお帰りください」
熱のこもった演説に、主治医は反論の余地を見出せず退場した。
「お母さん…」
「当たり前のことをしたまで。愛する人を守るためにね」
「ありがとう…」明里は号泣した。
「建さん、トラベルドクターお願いします」
「え…はい!一生懸命やらせていただきます!」
「最後になるかもしれない旅行、いい思い出作ろう」明里と母はおばあちゃんの手を握りながら囁いた。

  

休日明け、北千住の事務所にて。
「建さん、足利旅どうでした?」スタッフの佐野が話しかける。
「楽しかった。織姫神社は見晴らしも良いし蕎麦も美味い」
「織姫神社?知らなかったです。八雲神社なら有名ですけど」
「八雲神社は行けなかった。偶然俺たちにトラベルドクター頼みたいって言う親子に会って、色々話を聞いてきたんだ」
「建さんってホント優しいですよね。休みの日なのに予定返上してちゃんと対応するなんて」
「当たり前じゃないか。娘さんすごく純粋な子なんだ。あんな綺麗な心の持ち主見たことない。おばあちゃんに最後の旅行をプレゼントしてあげたいんだって。絶対叶えてあげたいよね」
「は、はい…」
「そもそも旅行だって下見兼ねてやってるんだから。いつ依頼が来てもいいように動くのが俺らの仕事の一つだぞ」
「真面目ですね。私も見習わせてもらいます」
「そしたら今度一緒に下見行こうか。場所は日光。おばあちゃん食べること大好きで、行きたい店ピックアップしてくれた」
「盛りだくさんですね…」
「おばあちゃんは移動中は横になってもらうけど、食べる時や観光中は車椅子で動ける。ただこれらの店がバリアフリー対応しているかは怪しい。お店の方との交渉が必要だ」
「はい」
「1日目は今市周辺の店に行き、2日目は日光駅・東照宮周辺を巡る。旅館はなるべく今市の辺りで取りたいんだけど、温泉にも入りたいとのことで、鬼怒川まで行かないと厳しいかな」
「せっかくだから鬼怒川温泉行きましょうよ」
「鬼怒川と今市は往復で1時間のドライブ。これはちゃんとおばあちゃんに相談しよう。あと東照宮は…」
「あそこって階段多かった記憶があります」
「マジか…まあその辺もおばあちゃんに聞こう。よし、今週末また足利行こう」
「えっ⁈リモートでできません?」
「いや、実際に対面しないとわからないって。それに行きそびれた場所あるし」
「わかりました…」

  

水曜日、建と佐野は日光へ実地踏査に出かけた。今市にある店に赴いて食事をしながら店員にバリアフリー対応の確認をする。さらに宿泊予定のホテルや訪れそうな観光地に出向き、バリアフリー動線をチェックする。
そして土曜日、再び足利の地を踏む。織姫神社の七色鳥居、八雲神社を観光した後、検証結果を伝えに明里・母と共におばあちゃんの元を訪れる。
「我々下見に行って参りました。お婆さまがリクエストされておりました場所、大半は訪問可能です」
「そこまでしていただいて…ありがとうございます!」
「ただ2ヶ所懸念点があります。まず1つ目はとんかつ屋さん。カウンター席以外は掘りごたつのないお座敷です。予約ができないので、早めに着いて一番のりでカウンター席を確保したいところです。この日のもう1食は鰻屋さんでこちらは予約が可能なので、今のうちにどちらを昼食に、どちらを夕食にするか決めましょう」
「そうねぇ…鰻先の方が良いかな」
「鰻を昼食にして夜とんかつですね。そしたらとんかつ屋さんには17:15には到着しましょう。そしてあともう一点ですが、東照宮は正直言って厳しいです」
「えっ…」言葉を失う明里。
「階段がありまして、車椅子で巡るのは困難を極めます。我々がお婆さまを抱えて入ることも考えたのですが、かなりの危険性があります」
「そんな…そんな!東照宮に連れて行ってあげられないなんて!」号泣する明里。
「もちろんリスクを覚悟で入ることも止めはしません。お婆さまの意見を聞きます。お婆さま、どうしましょう?」
「東照宮は行かなくてもいいわよ」
「でも…でも!」明里は納得できないでいた。
「明里、建さんやおばあちゃんを困らせないで。しょうがないでしょ」
「だって…」
「おかあさんの言う通りだよ、明里。私のために色々してあげたい、その気持ちだけでおばあちゃん嬉しい。無理してまで東照宮に行かなくてもいいわよ」
「おばあちゃん…ごめんなさい建さん、無茶言ってしまって」
「僕も力になれなくてごめんなさい。その代わり東照宮の近くまでは行きますし、代わりになるスポットも考えています。それで良いですかね皆さん?」
「はい。じゃあ2週間後、よろしくお願いします!」元気を取り戻した明里。

  

「そうだ建さん、ワインはお好きですか?」
「…はい、大好きです」
「じゃあこれからココファーム行きましょう」
「ココファーム!知ってますよ、西武デパートの催事で飲んで美味しかった記憶あります」
「ココファーム、いいわね。あそこのワインは確かに良い味してる」太鼓判を押すおばあちゃん。
「じゃあ行って来ます。お婆さま、お元気で」

  

北関東道を越えた山間部にあるココ・ファーム。車で急な坂道を登る。
「車ないと来づらいですねここは」
「そうですね。バスは休日だと手前で止まるのがほとんどですから」
「有難いですよ。あ、ここはブルーベリー農園ですね」
「はい、ここも結構有名で。でももうシーズン終わっちゃいました」
「あらま…」
「また来てくださいよ」明里が言う。
「明里、だから建さんはお忙しいって…」
「来たいですね…」
「えっ?」
「いい街ですよ足利は。まだ2回目ですけど確信しました。明里さんみたいな心優しい方がたくさん居られる、いい街です」
「建さん…急にどうしたんですか?」
「いや、本当にそう思うまでです」
ココファームに到着する間際、そう言う建の頬は少し赤らんでいた。売店入口にあった無料の葡萄酢ドリンクで心を落ち着かせる。
「美味しい。葡萄らしさもありながらさっぱりしていて落ち着きます」
「建さん、お昼は食べて来られましたか?」
「はい、しっかりいただきました。でも食べようと思えば食べられます」

  

カフェに入り、建はテイスティングトリオを注文した。ココファームのワインを存分に楽しめるセット。まず白ワインのあしここは濃さもありつつ爽やかな果実味。甲殻類に合う力強さを持つ。
「うわぁ、めちゃくちゃ美味しい。オマール海老のアメリケーヌソースとかにも合いそうです」
「オマール海老ですか。建さん、結構美味しいものお食べになるんですね」驚く明里。
「食にはこだわるもので。チーズも美味しい。特にチェダーとカマンベールが輝いていますね」

  

続いてこころぜ。甘さが少し強めだが、これまたフランスワインに負けず劣らずの余韻が広がる。
赤ワインの農民ロッソは、日本ワインらしく軽めだがタンニンの渋みが強く香る独特な味わい。
「日本ワインって全体的に軽い印象があるけど、ココファームはフランスワインらしい芳醇さも兼ね備えていて強いですね。あの日感動した僕の舌に間違いはありませんでした」

  

生ハムは日本人馴染みのハムを生にしたような感じであり、面白いが臭みが目立つ。また、クリームチーズみたいなものも良薬っぽいクセがあった。
「建さん、素敵です!こんなに私の住む街好きだと言ってくれて」酒が入り半泣きの明里。
「素晴らしい、本当に素晴らしい!辛口系も完璧だよ!」いつの間にか農民ドライを追加注文した建も感動しきりだった。嘘偽りない優しさを持つ2人はとてもお似合いだった。
「建さん、どれが一番お気に入りでしたか?」
「ロゼですね」
「じゃあ買っていってください。私たちがお支払いします」
「悪いですって」
「明里がどうしても払いたいって言うんです。せっかくのご縁ですから」
「いいんですか?ありがとうございます…」

  

その後も売店エリアで5杯テイスティングを楽しむ建と明里。中でも暑さの落ち着いてきた屋外、葡萄農園のある急斜面を眺めながら飲むスパークリングワインは格別であった。
「ここに住みたい…」明里が聞こえない程度に小さな声で建は呟いた。

  

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