連続百名店小説『トラベルドクター』第1話(蕎遊庵/足利)

トラベルドクター・建。末期がんなどで余命を宣告された人達の、人生最後の「旅」をサポートするのが使命である。彼の取り組みは夕方のニュースや24時間テレビなどでも紹介され、世間からじわじわと注目を集め始めている。
そんな建の趣味はやはり旅行である。旅が好きでなければトラベルドクターなど務まらない。休日ともなれば全国各地を旅し、土地土地の魅力はもちろんのこと、負担のかからない移動手段、病人でも楽しめるスポットなどを探して回る。

  

この日は足利を訪れていた。暑さの厳しい地域ではあるが、曇りで比較的気温が低かった。それでも織姫神社の200段超の石段を登ると汗に塗れた。

  

言うこと聞かない足を何とか持ち上げ最後の踊場まで到達すると、反対側に蕎麦の店が見えた。待ちを覚悟していたが、土曜にも関わらず半分ほどの埋まりだった。階段を上らないと行けないのが足枷なのだろうか。バリアフリールートはあるのか。でもその前にまずはこの店の蕎麦を堪能すべきである。

  

普通のせいろに田舎そば、真っ白なさらしな、限定品と多彩な蕎麦が並ぶメニュー。ここに来る人の多くは2種類以上食べるとのことだったので、建は更科と限定品の黒蕎麦、そしておかずとして日替わり玉子焼きを選択した。本当は酒を飲みたいところだったが、驚くことにこの店にドリンクメニューは一切存在しない。

  

蕎麦を待っていると、座敷席にいた家族のうち1人の女性が建の方を覗いていた。話しかけようか迷っているように見えた。だが下手にこちら側から話しかけに行くと自意識過剰だと思われかねない。奥の窓に猫を発見した建は、写真を撮ることを口実に座敷へ上がる。
「ごめんなさいね、猫ちゃんがいるもので」
「もしかして、トラベルドクターの建さんですか?」
女性の想像以上に明るい声質に、少したじろぐ建。
「あ、はい。よくご存知で」
「テレビで拝見しました。猫、お好きなんですね」
「好きですね。おばあちゃん家に多い時は5匹くらいいました」
「5匹もですか⁈」
「福助、二郎、三郎、お末っ子、たぬきという名前です。中でもこの二郎、22歳まで生きたんですよ」
「ありゃ!可愛いですね」
「前は僕の顔見るとすぐ逃げたんですけど、歳をとると仲良くしてくれました。撫でたらニャーって言うんですよ。動画に撮って今でも毎晩鳴き声を聴いてるんです。あ、お蕎麦来たみたいなのでお暇しますね」

  

先に持って来てもらったのは真っ白なさらしな。蕎麦の実の内部だけを贅沢に使用しており、エンボス麺棒という表面の凸凹した麺棒でないと固められないとのこと。香りはあまりわからなかったが、綺麗な食感が確かにあった。つゆはどっぷりとつけてはいけない、微量の蕎麦つゆを纏うと良い塩梅で喉を通り過ぎていくのだ。

  

日替わりの玉子焼きはブロッコリー入りとしらす入りの二本立て。優しい出汁の味に色濃く映える具材そのものの味。酒を飲みたいところだが、酒がないからこそ料理の味わいに集中できるのかもしれない。

  

じっくり味わっているうちに次の黒蕎麦が来た。粗挽きで太さがあり、どうあがいても蕎麦が持つ野生味を堪能できる。歯応えもかなりあるため見た目以上に腹一杯になる。そのまま食べたり麺つゆにどっぷりつけたりするなど、変化をつけて楽しんだ。

  

「建さん、ご相談したいことがあるのですが」先ほどの女性が話しかける。
「どうぞ」
「食べ終わったら神社の境内に来てください」
「わかりました」

  

蕎麦湯でつゆを割ると、どこか町中華のスープのような安心感を覚えた。右手の眼下には、歩んできた足利市駅からの道のりが広がる。あの名曲の舞台にもなった渡良瀬橋もそこにあった。そして机に目線を戻すと、蕎麦屋のポットの下に五円玉が載せられていた。貨幣である以上手にしていいものなのか。迷った末建は受け取らないことにした。

  

「蕎麦美味しかったですか?」会計時に店主が問いかける。
「はい、めちゃくちゃ美味しかったです。太い蕎麦、香りが良いですねぇ」
「さらしなとは正反対で面白いですよね。どちらからお越しで?」
「東京から来ました」
「遠いところからありがとうございます」
「このあと神社にお参りしようと思っています。先ほど出られたご家族の娘さんに呼び出されまして」
「ああ、江森さんね。一家で長年よく来ていますよ」
「常連さんでしたか。いやあ素晴らしい」

  

大満足で店を後にした建は階段を登り織姫神社の境内へ向かった。朱色が綺麗に塗られた社殿に息を呑む。右手の休憩所に件の一家がいた。
「建さん、先ほどはうちの明里が突然話しかけてしまいすみませんでした」
「いえいえ」
「明里がどうしても頼みたいことがあるって聞かないんです」
「こんな僕で良ければ何でも聞いてくださいな」
「あの…ですね、私のおばあちゃんに旅行をプレゼントしたいんです」
「ほうほう」
「すい臓がんステージ4で治療を続けていたのですが、これ以上治療しても延命は見込めないと言われてしまいました」
「それはそれは…」
「今はホスピスにいます。いなくなってしまう前に、1回でもいいから旅をさせてあげたくて…」
涙声になる明里。
「小さい時からおばあちゃんとよく行ってた日光に、もう一度行きたい…!」
「日光…いいじゃん行きましょうよ!」
「明里…」
「明里さんってすごいおばあちゃん思いなんですね」
「そうなんです。本当におばあちゃんっ子で」
「明里さん、そして明里さんのおばあ様の思い出作りを手伝う。それが私の使命です」
「お母さん、いいでしょ」
「そうね。最期とは思いたくないけど、後悔するのも嫌だし。建さん、よろしくお願いします」
「ありがとうございます!」
「そしたら家来てください。歩きですか?駐車場に車停めてあるので一緒に乗りましょう」
「あ、ありがとうございます…」

  

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