連続百名店小説『トラベルドクター』最終話(まつむら/足利)

トラベルドクター・落合建。末期がんなどで余命宣告を受けた人々へ、人生最後の旅行を企画しサポートするのが彼の使命である。
*この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは関係ありません。

  

旅行を終えてから2週間後、建は再び足利を訪れおばあちゃんの元に駆けつけた。
「リミさん、ご無沙汰しております」
「あら建さん。あれからすっかり弱っちまったよ。もうすぐお別れかね。でも弱る前に旅行行けて良かった良かった」
「表情も旅行行く前より明るくなりましたね」
「一緒にお喋りできる家族がいて、とても嬉しいわね」

  

そこへ明里が、封筒のようなものを手にしてやってきた。
「明里さんも相変わらずお元気で」
「はい。今日は日光で撮った写真、現像してきちゃいました〜!」
「明里ったら、フィルムカメラに凝り出しちゃって。スマホでも十分いい写真撮れるのに」
「最近僕らの世代でもフィルムカメラを使う人が増えているんです。レトロブームの影響でしょうね」
旅館での写真を手にするおばあちゃん。
「あら、いい味出てるわねぇ。懐かしい」
「素晴らしい集合写真だ。家に飾っておこう」
「僕もフィルムカメラやってみようかな」

  

「それにしても建さん、明里とよくお似合いだこと」おばあちゃんが呟く。
「お似合い?」口を揃える2人。
「えぇ、お似合いよ。2人とも慎ましくて穏やかで相手を慮る」
「いやいやそんなこと…」
「優しい人たちに囲まれて最期を迎える。向こうに行っても元気でやれそうだよ」
そう言っておばあちゃんは静かに眠りについた。そして5日後、優しい人たちに看取られながら、おばあちゃんは天国に旅立った。

  

暫くしてその報せが建にも届いた。これで江森家との関係性は一区切り、と思っていたが、もう一回足利に来てほしいと言われた。おばあちゃんへの最後の挨拶はしなければならないと、建はその申し出を受け入れた。

  

買ったばかりのフィルムカメラを手に足利にやってきた建。暫く来ることはないだろうと思い、織姫神社や足利学校、八雲神社、渡良瀬橋などの名所を片っ端から撮影する。そして江森家に上がり、おばあちゃんの仏壇に手を合わせる。あの時と同じように香雲堂の最中をもてなされていた時のことだった。
「建さん、夜ご飯はどうされるおつもりで」
「どうしようか悩んでいます。どこかオススメの店ありますか」
「もしよろしければ、天ぷらのお店に行かれてはどうでしょう」
「足利で天ぷらって…まさか『まつむら』さんですか?」
「ええ」
まつむらは足利でも飛び抜けた高級店。建も行こうとは思っていたが避け続けていた。
「3万円くらいしますけど、もし良ければ行ってきてください、明里と一緒に」
「明里さんと2人きりで、ですか?」
「そうです。明里が色々お話し聞きたいらしくて」
「建さん、一緒に行きましょう」
屈託のない笑顔で話しかけてくる明里を見て、建は断ることができなかった。

  

開店時刻の17時半少し前に到着。都心から遠く、さらに最寄駅からも遠い店ではあるが店内は満席。港区からの4人組と空間を共にする。20000円、25000円、30000円のコースの内今回は真ん中を選択済。
「あれ、今日お母様は?」店主が明里に問う。
「どうしても連れてきたい人がいる、と言ったら譲ってくれまして」
「トラベルドクターというものをしております落合建と申します」
「トラベルドクター、初めて聞きますね。後で色々お話し伺ってよろしいですか?」
「もちろんです!」

  

飲み物メニューを眺めると、一流店の証である「ロココ」が名を連ねていた。
「もうわかります、ここは素敵なお店ですね」
「特別な日のごちそうは絶対ここなんですよ!」雰囲気を壊さない程度に朗らかな口調の明里。

  

ロココと同じラインと思われるカグアを注文すると早速、松茸とスッポンのスープが供された。初っ端から高級食材のかけ合わせで面を食らう建。
「これだけ全国各地旅行してきたのに、松茸もスッポンも初めてなんです」
自信なさげに話しながら松茸を口にする建。松茸の香りがどういうものかよくわからなかったが、スッポンの旨味は理解し、間違えようのない美味しさを覚えた。

  

打って変わって背伸びしない食材、鯵の土佐酢和え。酢や茗荷、山葵といった薬味が上品さを保ちつつ効果的に働き、鯵の身の快活さを支えている。
「それで明里さん、僕に話したいことって何ですか?」
「建さんが私達のために色々動いて下さるのを見て思ったんです、私もトラベルドクターの一員になりたいと」
「えっ、本当にですか⁈」
「ええ。実は私、看護の学校通っておりまして、次の国家試験受けるんです」
「そうだったんですか…全然そんな素振り見せてなかったから」

  

驚いたところへ最初の天ぷら、海老がやってきた。小ぶりながらも旨味が凝縮されており、目を瞑ってしみじみと噛む。
「でも明里さん、絶対看護師合ってると思います」
「そうですか?」
「その優しくて周りを明るくしてくれる性格、看護師にピッタリですよ」
「照れますね…」

  

少しこんがりとしたスナップえんどう。厚みや食感が市井のものの3倍はあると思われ、素朴な食材でもここまで印象強くできることに感動を覚える。
「人間って、生まれた時はみんな明里さんのような心を持っているんですよ。でも育っていく内になぜ、明里さんの心を忘れてしまうんだろう」
「いえいえ、私はそんな…」
「僕も昔は迷惑なくらいおばあちゃんに懐いていたのに、中学生になって顧みなくなった。本当は永遠のおばあちゃんっ子でいたかったのに、なんか恥ずかしさとかあって」
「…」
「だから明里さんが羨ましい。羨ましいというか、心洗われるというか」
「建さん…」

  

続いて鱚。大葉を挟むことにより、大葉の香りを最大限に活かしつつ鱚の旨味も出す。少しがっしりとした衣がそれを確と受け止める。
「色んなお店食べに行かれるんですか?」建に問う店主。
「はい、東京に住んでいて、都心のお店、特にフレンチや中華によく行きます」
「そうですか。足利から三つ星シェフ出たの知ってます?茶禅華の川田シェフ」
「マジっすか⁈行きたいとは思っているけど行けないあの…」
「他だと、アロマフレスカの原田さんも足利ですね」
「マジっすか⁈足利すごいな…」
「アロマフレスカは行かれたことあるんですか?」
「セカンドラインのサーラアマービレなら行きました。すごく美味しくてお酒もたくさん飲めて」
「建さん、色々なお店ご存知なんですね」感心する明里。
「食べるのが大好きで。そのついでにその街を散策するのも楽しいんだよね…」

  

天ぷらから一旦離れ、鰹の刺身。一般的なたたきではなく、普通の刺身らしく海苔・胡麻・山葵で戴く。こちらの方が絶対美味しい。勝負の決め手は胡麻の香ばしさである。

  

海老の頭はこのタイミングで登場。こちらは身以上に旨味が凝縮されており、外国人がバケツ一杯食べたいと言う気持ちもわかる。
「足利でトラベルドクターするのも楽しそう。八雲神社や渡良瀬橋などを巡って、蕎遊庵やココファームでご飯を食べる」
「そもそもトラベルドクターとはどういうお仕事なんですか?」
「余命いくばくとなった病気の人たちに、最後の思い出として旅行をさせてあげるのが使命です」
「へぇ、それはたいそう御立派な。病院に籠ったままだと可哀想ですもんね」
「全くその通りだと思います。でも『旅行中何かあったらどうするんだ』とか、『病人を連れ出すなんてけしからん』とか、理解してもらえず文句言われる機会も多いですね…」
建の正義を揺るがす心無い声が多いことを知り、明里の建を支えたいという気持ちは一段と強くなっていく。

  

茄子の天ぷら。調理中、油に投入した時の爆ぜる音が特徴的。甘みたっぷりで、天つゆにつけるとその愉快な味に魅了される。

  

氷温貯蔵で甘さを引き出した足利にんじん。30分熱して5分冷ますと甘みが最大限に引き出される。思わず唸ってしまう建。人参が大好きな明里も見得を切る。
「そうだ、あとあのパティシエの方も足利出身だ。えーと名前が…あっ、メゾンジブレーだ」
「えっ⁈」思わず大声を上げる建。「ジブレーって、江森さんの」
「はっ…」思わず反応してしまう江森明里。
「ごめんなさい、紛らわしかったですね。中央林間にある果物系のケーキが売りの店で、僕の行きつけなんです」
「果物!私果物大好きなんです!」
「僕のおばあちゃんは町田の人なので、お墓参りのついでに寄るんです。春は苺、夏は桃、秋はマスカット、冬は柑橘。タルトも素晴らしいし、ノーマルのケーキも格が違う」
「うわぁ美味しそう。でも遠いですよね…」
「神奈川の案件がある時にでも寄り道しよう」

  

ビールが空いたため日本酒に移行する。栃木を代表する銘酒といえば鳳凰美田。地元で普通に買えるものではあるが、せっかくなら地元の名人芸との競演を見たいと考え注文する。

  

最初の相手はメヒカリ。天ぷらにしてもおかしくないものを、あえて揚げず塩焼きに。ふっくらした身に旨味がよく詰まっていて、鳳凰美田のフルーティーさと最高に合う。

  

続いて青森産マッシュルームの天ぷら。茸なので醤油を合わせる。醤油の香ばしさと茸の旨味が最高の組み合わせ。量もあるので大満足である。

  

そして、こちらも熟成させてから揚げ冷ました、皮まで美味しいじゃがいも。手掴みでワイルドに味わおう。
「一緒に働くとなると、明里さんも上京することになりますかね」
「そうなりますね」
「僕がこの街で暮らす…なんてできないよな」
元々建が設立したトラベルドクターだから、建の意向で場所を移すことはできなくもない。事務所は北千住にあるから、足利に移住しても東武特急を使えば通いにくくはない。だがまだ発展途上の企業が、わざわざ東京から地方へ移転したら案件など来ないだろう。足利から通うにしても、通勤に時間がかかればその分余裕がなくなるかもしれない。

  

そんなことを考えている内に日本酒が空いてしまった。栃木の地酒に拘る建は、地元の酒屋では見かけない「姿」という銘柄を選択した。
「正直に答えてください。明里さん、足利の街出るの、寂しいですか?」
「そうですね…」

  

足利で過ごした20余年を振り返る明里。学校終わり、いっぱい遊んでくれたおばあちゃん。今は上京しちゃったけど、ドラゴンボールにハマるきっかけをくれた兄。剣道の練習帰りに食べたポテト入り焼きそば。大好きなゲームを好きなだけやらせてくれた母。思い出息づくこの街、離れるのは寂しいと思い始めた。上品なもずくを味わいながら涙目になる明里。見かねた建がある提案をする。
「北千住の事務所は他の人に任せて、足利に2号店を作ろうかなと思います」
「そんなことできるんですか?」
「僕と一緒に旅に同行していた『河口のやつ』の働きぶり、どうでしたか?」
「河口さんも非常に親切に接して下さりました」
「アイツに北千住店を託して、僕と明里さん、さらに何人かスタッフを集めて足利でやる。トラベルドクターを大きくする足掛かりにもなるかな、と思いまして」
「私なんかに建さんを支えられるのか…」
「いいんじゃないですか。やってみたらどうです」店主までもが後押しする。「その優しさと気概があれば大丈夫ですよ」
「…はい!がんばります!」

  

血が飛ばないよう綺麗に捌かれた穴子。1切れは山椒で、もう1切れはご飯と共にいただく。柔らかく旨味の詰まった身に、思わずご飯をかき込む。

  

2種の薬味でいただくしめ鯖。手前の方がより芳しい。臭みもなくここも美味しくいただいた。

  

そして手渡しの海苔巻きには帆立(?)の天ぷらと雲丹が挟まっている。貝柱のしみじみとした旨味を雲丹の濃厚さが埋める。両方の良さを感じられる素晴らしいワンハンドフードである。
「足利の名店というと、蕎遊庵は行かれました?」店主が建に問う。
「行きました。めちゃくちゃ美味しかったです」
「営業時間終わると蕎麦打ち教室が開かれて、僕もよく行くんです」
「名店の蕎麦打ち教室、面白そうですね」
「奥が深いんですよ。打つのもそうなんですけど細く切るのも難しくて。是非やってみてほしいです」
「いいですねぇ。実は明里さんと出会った場所、蕎遊庵なんですよ」
「本当ですか⁈」
「私が食べていたところに建さんがやって来まして、ちょうどテレビで建さんの活動も拝見していたので声かけたんです。おばあちゃんを旅行に連れて行ってほしいと」
「最初はびっくりしたんですけど、明里さんの真っ直ぐな思いに触れて感激しまして」
「出会った場所が織姫神社というのも、何か縁を感じますね」店主のアシスト。
「ホントだ。そういえばあったな、桂由美さんのあのプレート…」
「建さん、実は言いたいことがありまして…」
「もしかして…」
「えーっと、その…あ、かき揚げが仕上がったみたい。食べてから話しましょう」

  

〆はかき揚げを天茶で。オープニング以来の松茸も入り豪華だったが、酔いも回り半ば惰性で食べてしまった。茶に浸してもそこまでしならない衣、という印象が残っている。

  

デザートのシャインマスカットと冷凍ぶどうを食べながら、漸く意を決した明里。
「私、建さんのことが好きです!」
「えっ⁈」
「あ、あぁ言ってしまった…」少し赤くなる明里。「私も、親戚以外で優しくてこんなに尽くしてくれる人に会ったのは初めてでした。建さんと一緒に居られたら、優しくて素敵な未来が待っている。おばあちゃんみたいにみんなを明るくしてくれるおばあちゃんに、私もなれるのかなって」
「明里さん…こんな私で良ければ、よろしくお願いします!」
こうして今ここに世界一穏やかなカップルが誕生した。周りにいた店主や女将、そして4人組の客全員が2人を祝福した。

  

会計を済ませると、レシートと共に紐付きの五円玉が渡された。足利という街、そしてそこに住む人々に縁を見出した建は、以前とは違って有難く五円玉を頂戴する。
本当はお母さんに挨拶しに戻りたかったが、夜も遅かったためそのまま帰京することにした。
「明里さん…いや、明里、また近いうちに足利来るからね」
「楽しみにしてるよ!じゃあね!」
タクシーに乗った建の表情は、途轍もなく晴れやかであった。

  

  

「おい、河口。突然だが来年の4月から、ここ北千住の事務所は君に任せることになった」
「え…突然すぎますよ」
「俺はこのトラベルドクターを大きくしたい。だから俺は新たな場所に2号店を設けてそこに移る。なぁに、河口なら大丈夫だ。時間もまだあるからゆっくり引き継ぎするよ」
「建さん…俺、頑張ります!建さんみたいに優しいトラベルドクター目指します!」
「頼もしい!頑張ろう一緒に」

  

来る翌年の春、建のサポートもあって明里は見事看護師の資格を取得。足利に移り住んだ建と共にトラベルドクター2号店を開いた。2人の優しさはサービスを利用する客に伝播し笑顔の輪を生む。シリアスな局面に出くわすことも多いけれど、2人の前向きさで乗り越え新たな思い出を人々に与える。やがてトラベルドクターの活動は日本中、いや世界中へと広まり、建と明里の夫妻は医師・看護師を目指す人達にとっての憧れの的となった。

  

ある日の案件、織姫神社にて。
「わぁ、綺麗な足利の街。あれが渡良瀬橋ね、好きだった恋人とよく訪れていた」
「渡良瀬橋、染みますよね。僕もこの景色が好きで、この街に移ったんです」
「思い出すと泣いちゃうね。結局その恋人とは音信不通になってしまって。一緒に見た最後の景色は、雨上がりの虹だった。何であの時好きだと言わなかったのか…」
「私の祖母も同じような経験をしました。でも色々手がかりを集めていったら、50年越しに恋人のご子息の方と会えてお話聞けたんですよ」
「探しに行きませんか?その虹の続きを」
「そうねぇ…行ってみようかしら」
柔らかな風に吹かれながら、今日も2人は最高の思い出を探しに行く。

  

—完—

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