連続百名店小説『キミにはハマが似合ってる。』第8話:海沿いの道を 手をつないで歩いた(悟空茶荘/元町・中華街)

人気女性アイドルグループ「TO-NA(旧称:綱の手引き坂46)」から、メンバーのアヤ(25)が卒業する。「横浜が似合う女」として話題となったアヤは、TO-NA特別アンバサダーのタテル(26)と卒業記念の横浜デートに出かける。

  

「タテルくん、最後にもう一回行っておきたい場所があるんだけどさ」
「どこ?」
「中華街にある中国茶のお店、前行ったでしょ」
「悟空茶荘か。行きたい行きたい、他のお茶も飲んでみたいと思ってたから」
「決まりだね」

  

桜木町駅から根岸線に乗り、2駅目の石川町で降りる。なるべく人込みを避けるため、首都高沿いを東進し、フィットネスジムのある路地を北上するルートをとった。そうして辿り着いた悟空茶荘のイートインは満席であり、取り敢えず2人は整理券を取ってスマホで待ち状況を確認できるようにした。
「結構待ち時間ありそうだね。どこで時間潰そうか」
「私ちょっと海見に行きたい」
「俺も丁度見たいと思ってた。時間たっぷりあるし、行こうか」

  

関帝廟通りに出ようとしたところ、アヤがタテルの手をとる。
「何だよアヤ、さすがに手を繋ぐのは…」
「はぐれると嫌だから」
「…仕方ないな。最後のデートだし、手繋いでやるよ」
「ありがとう。タテルくんの手、あったかくて癒される」
「まあな。手が温かいのは小さい頃からの自慢なんだ」
「このあったかい手で、残りのメンバーも幸せにしてね」

  

10分程度歩いて向かった先は山下公園。半球状に突き出たスペースから海を一望する。右を見れば氷川丸があって、こんな暑い中なのに船長の格好をした中年男性が船内入場料の割引券を配っていた。左を見ると、タテルにとって見覚えの無い建物がある。
「あの横に長い建物って何だろう?」
「大さん橋の方?フェリーターミナルだね」
「あんな立派なフェリーターミナルできたんだ」
「前からあるけどね。クルーズ船がやってくるところ」
「何か寂しくなってきた。アヤはいつ帰ってくるかわからない旅に出てしまうんだな、と思うと」

  

そう言ってタテルは目に涙を浮かべた。
「タテルくん…やめてよ、こっちまでしんみりしちゃう」

  

手を繋ぎながら見る海が、涙に滲む。
「でも未来は視界良好じゃなきゃな」
手で涙を拭うタテル。アヤにはポケットティッシュを1枚差し出した。
「大好きな横浜を、大好きなタテルくんと歩けるのもあと数時間…」
「その数時間を最高のものにしようぜ」

  

待ち状況を見ると、呼び出しまで未だ時間があるようだった。そこで2人は中華街に戻り、以前も訪れた足つぼの店に向かう。
「タテルくんすぐ痛がりそう。リアルに大病患ったし」
「それはもう過去の話だ。酒なんて飲まない時は本当に飲まない」
「でも太ってるから」
「逆にアヤは節制しすぎだ。よぉし、どっちが痛みに強いか勝負だな」
「アヤの美しくて艶やかな足裏がまた見られる」
「またスケベな目して」

  

「はあ、最低限の肉付き、丁度良い指の長さ、ちょっと外反した立派な親指、何時間でも見ていたい…」
「分析しないで。これ以上近づいたらぶつよ」
「今までいろんなお客さんみましたけど、見た目はいちばん綺麗な足してますよ。しっかりケアなされてるんですね」
「店員さんまで…」
「頭の天辺から足の裏まで美人さんだ。自慢の女性だよアヤは」
「嬉しいのか恥ずかしいのか…」

  

施術が始まる。足つぼといえば部位毎に対応する全身の器官が決まっていることでお馴染みである。アヤは親指を押され悶絶する。
「ここはどこに繋がってるんですか…」
「頭です」
「頭悪いって!さすがOBK」囃し立てるタテル。
「バカにしないで!」
「冗談だよ。足つぼではお決まりのくだりだからね」

  

阿呆みたいにアヤの足に見惚れていたタテルにも天罰が下る。
「ア゛ァァー!そこ何ですか」
「胃です」
「食べすぎ飲みすぎかな、イィィィー!」
「胃だけにね。つまらないダジャレ」
「ダジャレのつもり無いから!」

  

結局両者とも絶叫の絶えない30分となった。そこに勝ち負けなど無かった。
「俺ら不健康だね。バランスの良い食事を心がけよう」
「運動もしないとだね。でも老廃物流れた気がする。何よりも、タテルくんと最後に痛みを共有できて楽しかった」
「俺もだよ。まさかアヤと足つぼを受けに行く仲になるとは思わなかった」
「ね。でもくれぐれも他のメンバーに対して、足裏評論するのは止めてよ」
「わかってる。セクハラとかはしないから」

  

呼び出しまで残り1組となったため悟空茶荘に戻る。1階の物販コーナーには様々な茶葉や色とりどりの茶器があり、少しの時間を潰すにはうってつけの空間である。
「アヤこの前茶器買っていったじゃん。今も使ってる?」
「使ってるよ。中国茶飲むとリラックスできるんだよね」
「いいね。俺も買っていこう」
「私は茶葉買おう。市販の茶葉よりここで売ってる方が良い」

  

アヤは普洱茶や凍頂烏龍茶など3種類の茶葉を購入した。しかし茶葉毎に茶器を分けた方が良いというタテルの指摘により、新たな茶器まで購入した。
さらにタテルも自家用に桂花茶のティーバッグを購入した。金木犀の香りがほんのりするさっぱりとした飲み口で心安らぐと云う。

  

漸く2階の席が空いたため移動する。飲もうと思えば無限に湯を注いで飲めてしまうため回転はかなり遅め。休日はそれなりの待ち時間を覚悟しなければならない店である。

  

中国茶はメニュー3面に渡る幅広いラインナップ。迷いに迷って、タテルは白牡丹王、アヤは東洋美人を選んだ。

  

美味しく飲むためのお茶の淹れ方のレクチャーが始まる。茶器を温めるのがどうやら肝心らしい。熱々になった茶器を触るのが猫手のタテルには難しいようで、熱い熱いとあたふたする様を見てアヤは笑いを堪えられない。
なおこのレクチャーで店員は暫くテーブルにつきっきりになるため、用があって店員を呼び止めようとしても捕まらないことが多い。注文を聞くだけの役割の店員を1人くらい増員してほしいとタテルは思ったが、わざわざデート中に言うことでは無い。

  

白牡丹王。希少な白茶という分類で、緑茶の香りと紅茶のような甘みを兼ね備えている美しいお茶。日向坂のメンバーで喩えれば高本彩花である。

  

「すみません、ジャスミンクリームパンはありますか」
「下に確かめてみますね。…残り1個でした。ギリギリセーフ」
「良かったねタテルくん」

  

滑り込みで確保したクリームパンは、薄皮生地にクリームがぎっしり詰まった八天堂型。ジャスミンの香りがガツンとして、お茶の渋みまで表現されているような気がする絶品である。

  

「アヤも半分食べない?」
「いいよ、夜ご飯もあるし」
「俺のだけにしたくない。アンパンマンサイズでいいから食べて」
「わかった。…わ、美味しい」
「でしょ?」
「やっぱ半分食べたい」
「食べて食べて。アヤの杏仁豆腐も美味そうだな」

  

「これ?美味しいよ。生姜シロップが効いていてさっぱり食べれる」
「よし、俺も追加発注する」
「よく食べるねタテルくん」

  

思い出を共有、という話題になって初めて、お茶自体もシェア可能なことに気付く2人。淹れ方は違えど、茶葉の入った器から直接飲むことは無いからである。アヤの頼んだ東方美人茶は前回タテルも飲んでいたが、台湾茶の芳しさがありながら紅茶のようにどっしりとした味わいを感じた。乃木坂のメンバーで喩えれば井上和である。

  

鱈腹お茶を飲みながらお喋りに花を咲かせていたら2時間も居座ってしまった。それくらいこの店は居心地が良く、その分回転は悪いのである。
「やばい、もう5時半過ぎてる。夜ご飯ってどこで食べるの?」
「関内まで戻って天ぷら。ちょっと遠いね」
「じゃあタクシー乗ろうか」

  

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