福井県出身の五木光子。東京で大好きなテレビ番組のADとして働いているが、過酷な労働についていけず怒られてばかり。気力体力を消耗し出世も見込めない中、やっと1週間の休みを取得できて初めての帰省。有名番組のADをしている娘を誇りに思う両親に、自分の置かれた状況を打ち明けることができずにいたが、仕事が辛いという本音を漸く打ち明けることができた。ただ秘密は未だあって……
恐竜博物館からの帰り道、予想外の報せが来た。妹の愛が急遽帰郷している最中だと云う。父には会いたくないとのことで、友達の家に転がり込むらしい。それでも私のことは呼び出して、何故かバーに行きたいとか言い出すから困ったものである。
「どっか良いバー知っとる?」
「知らんけど、片町に行けばあるんやない?」
片町とは、福井駅近くにある繁華街。江戸時代、福井城の外堀に面して町が形成され、東側が堀で西側にだけ建物が建っていたことから片原町と呼称された。その後城は無くなり、片原町は住所表記からも消滅したが、略称たる片町は現在も繁華街の名称として残っている。金・土ともなればタクシーが沢山停まる夜の街である。女性1人での訪問は用心が必要である。
「気をつけるんやぞ」
「帰る時は連絡してね。迎えに行くから」
「客引きは無視するんや。目すら合わせんようにな」
夜8時、福井駅。高速バスから愛が降りてきた。私の顔を見るとすぐに表情を崩し、久しぶりねと抱き合う。連絡こそあまり取っていなかったが、私と愛の関係性は良好であり、父と愛の間を除けば仲が良いのがうちの家族である。
愛もまた、福井で真っ先に食べたいものはヨーロッパ軒のソースカツ丼であると言った。片町に入り、2日ぶりのヨーロッパ軒本店へ。愛にも3種盛りを薦めたが自分はいつものレディースセットにした。
そして愛のリクエストに応え、ヨーロッパ軒から目と鼻の先にあるバーを訪れた。食べログの口コミは殆ど無い店ではあるが(移転して半年経っていないからか)、ここのマスターは全国大会に出場経験のある一流のバーテンダーであり、地元民の間では知られた名店のようである。
「じゃあ先ずはフルーツのカクテルで。何があります?」
やけにこなれた口調の愛。ラフランスのカクテルを即決した。バーなど初めての私はそれを真似ることしかできなかった。

果実を氷とミキシングし大きなグラスに注ぐ。ずっしりとした豪快な1杯である。勿論ラフランスの味わいも濃く、口当たりもトロっとしていて良い。
「随分慣れとるやん。よくバー行くん?」
「テニサーの先輩が奢ってくれるんだ」
「テニスやってるん」
「運動不足解消に丁度ええねん。アフターでご飯食べさせてくれるし」
それを聞いて不安が過ってしまうのは老婆心なのだろうか。仮に先輩が男性なら、アフターの後に良からぬ集会があるかもしれない。しかし慎重に訊ねないと愛は拗ねてしまう。そもそも私にその疑念を深掘りする資格は無い。
「みっちゃんは行かないの、バー?」
「バーは行かない。クラブ?なら連れて行かれるんだけど……」
私の隠し事にはこの「クラブ」が関わっている。話は1年と少し前に遡る。その時期は担当番組のひとつ『東京都港区すぐ調べる課』がイスラム教徒に対しラマダンを茶化すような検証を仕掛けてしまい炎上。現場の空気はいつも以上に張り詰め、上司の部下に対する当たりは余計に強くなった。大勢に影響の無い誤字が台本に1つあっただけで、カンペ出しのタイミングが0.1秒遅れただけで人格否定をしてくる。私も例外ではなかった。
その番組にはMC2人とゲスト2人、そしてレギュラーパネラーに人気お笑いタレントの細木正さんが出演している。軽く挨拶してスタジオを後にする出演者が多い中、正さんは草臥れた私に声を掛けて下さった。
「お疲れ様。この後も仕事?」
「はい。結構やること溜まってまして」
「忙しそうだね」
「毎日バッタバタです。遊ぶ余裕も無くて」
「そうなんだ。たまには遊んだら?僕良いとこ知ってるからさ、一緒に来ない?」
冷静に考えてみれば、「一緒に遊ぼう」なんて怪しい誘いでしかない。でも正さんは清廉潔白で人当たりも良く、おまけに私も業務に忙殺されていて息抜きが欲しかったから、断る選択肢など考えもしなかった。そして導かれた先が六本木のクラブであった。
「音楽に合わせてテキトーに踊ってればいい。嫌なことも忘れちゃうよ」
「どんな踊りでも良いんですか?怒られそうで」
「怒らないよ。ここは自由でならしたクラブ『フリーダム』だ、喧嘩とかじゃなければ何したって良い」
半信半疑で踊ってみると、仕事の苦しみが嘘のように忘れられた。苛烈な叱責も過多な業務も不器用な自分も、全てを無視して無心で踊る。社会人になって初めて、本当の意味での遊びを体験することができた。
「ありがとうございました。頭空っぽにして踊れて、リラックスできました」
「良かったね。僕も正直嫌だったんだ、番組の空気。楽しくやりたいのにDやPがキレ散らかしていて」
「ホントですよ。あんなんで番組盛り上げるの無理がありますよね」
「アハハ。スッキリしたでしょ」
「あの、お代は…」
「今夜は僕の奢り」
「それはいけません」
「大丈夫。僕ここの社長と知り合いなんだ。次以降も格安で入れてもらえるように話通しておくから、息抜きに来るといいよ」
優しい正さんのエスコートにより苦しみから一時だけは解放された。しかしこの後あんなことになるとは、あの頃の愚かな私は想像できなかった。
次のカクテルはメニューブックから選択する。ベース毎に分かれて記載されているが、しれっと聞き馴染みの無い名前が紛れている。それはマスターのオリジナルカクテルであり、その中からジンベースのフラワー何ちゃら(名前をメモしておらず申し訳ない……)というカクテルを選んでみた。

約25年前の全国大会に出品したものだそうで、流石全国クラス、クランベリーの心地よさが光る凛としたカクテルである。会場の室温によりブレが出て、大会では中々評価がされにくいものらしいが、市井で味わう分には繊細で美しいカクテルである。
「ねえ、みっちゃんにお願いがあるの」
「どうした?できることならなんでも」
「すぐ調べる課に依頼したいことがあってさ、お父さんとの仲直り」
「えっ?」
すぐ調べる課は、視聴者から依頼を募集し調査・解決を行う番組である。某関西の番組っぽいありきたりな企画ではあるが、父への誕生日プレゼントを一緒に探してほしい、もうすぐ生まれる子供の名前を芸能人につけてほしい、生き別れた親やきょうだいと会いたい、といった家庭内シリーズが好評を博し番組の根幹となっていた。
確かに愛と父のダンマリ問題もこの類で解決できたら楽である。しかし当然ながら採用するネタは上の人間が決めるものであり、AD、況してやポンコツADのリクエストなど通る訳が無い。
「一応頼んではみるけど、期待はせんといて」
「そっか……」
「ごめんな。私に企画やらせてもらえる力無いねん」
「テレビ業界は厳しいよね。そう簡単にはできへんか。でもお父さんと雪解けしたい。したいけど本能が抵抗してくる。だからきっかけがないと動けない」
「私には理解しきれないけど、葛藤しているのは伝わる」
「素直じゃないのはわかってる。みんなに迷惑かけていることもごめんなさい。でもどうしても、今はお父さんと空間を共にできない」
この時私はふと考えた。撮ってもらえないのなら、自分で撮ってみれば良いのではないか。撮ったものを見せれば、大抵の場合は突っぱねられるだろうが、誰かがこれ良いねと言って企画を磨き上げてくれる可能性がある。番組制作の勉強がてら購入していたビデオカメラを使って、妹の声を録ってみたらどうか。
妹は快諾してくれた。そうなると早速演出プランを練らねば。こういうプライベートな話は、先ずはプライベートな空間にて語るべきである。真っ先に浮かぶ画は車の中で、タクシー代と引き換えに家を見せてもらうあの番組みたいに会話する。ベタだと言われても構わない。私にとってはそれが一番面白いから。
母の迎えの車が来たため店を後にする。転がり込む先も実家からそう遠くはないとのことで妹も同乗する。
「久しぶりの福井はどうですか」
「落ち着くね。ソースカツ丼美味しかった」
「ヨーロッパ軒ね」
「お母さんの作るソースカツ丼も食べたい」
「じゃあ今度作ろうか。みっちゃんは帰っちゃうけど」
「ざんねん」
「お母さん。お父さんは私のことどう思ってるの?」
「え?まあ相変わらずだね。でも歩み寄りたいとは言ってるよ」
「そうなんだ。思いはあるのか……」
雪解けしたいのに、素直になれない両者。酒の勢いで説教するのも、チンチクリンと1回言われただけで10年以上拗ねるのも、どちらも大人げない所業である。しかしそれをガツンと伝えるのは無鉄砲。仲良くすればいいじゃん、と言いかけたのをグンと堪える。
「明日さ、午後からおばあちゃんのところ行こうと思うんだ。一緒に行かない?」
「お父さんがいなければ行く」
「頑なだねえ。いないよ、漁が忙しいんだ」
「冬の福井は海産物の宝庫だからね。稼ぎ時なのよ」
「相変わらずの仕事人間。私達のことなんて…」
「それは誤解だよ!お父さんね、私が帰ってきたらあの時よりも…」
「やっぱり無理。お母さん、そこで降ろして」
私は妹を怒らせてしまった。父に会うよう諭す作戦は失敗し、寧ろ父に対する態度を私にも向けてくる虞が生じた。途端に胸がざわめき、ミラーに映る顔は白くなっていた。