福井県出身の五木光子。東京で大好きなテレビ番組のADとして働いているが、過酷な労働についていけず怒られてばかり。気力体力を消耗し出世も見込めない中、やっと1週間の休みを取得できて初めての帰省。有名番組のADをしている娘を誇りに思う両親に、自分の置かれた状況を打ち明けることができずにいたが、仕事が辛いという本音を漸く打ち明けることができた。ただ秘密は未だあって……
実家に帰った私は部屋で蹲っていた。大人げない喧嘩するなよ、という考えが無意識のうちに滲み出て妹に察知された。作戦は失敗である。いや、作戦を考える、という行動に出た時点で策に溺れる未来は見えていたはずである。
「私のこと、嫌いになったかな……」
「考えすぎよ。明日には機嫌治ってるんじゃない?」
「でもお父さんのことがあったから……」
「疑うのって、あまり気分の良いものじゃないよね」
母の穏やかだが芯をくった物言いにハッとした私。母は争い事が嫌いである。だからいつも明るくにこやかに振る舞う。断交した父にも妹にも、仲直りを無理に勧めることはせず、互いの言い分を汲んで繋がりを保たせる鎹の役割をしている。いつか雪解けが来ると信じて穏やかに前を向く。その意に反することを考えるのは野暮である。信じることの方が簡単だし気持ち良い、って誰かが歌っていたことを思い出した。
「愛ちゃんから自然に連絡が来るのを待とうね。大丈夫、さすがにみっちゃんのことを嫌いにはならないよ」
泣き出しそうな私を優しく宥めてくれた母。おかげでこの日はぐっすり眠ることができた。
そして翌朝、母の期待通り愛から謝罪のLINEが着弾していた。取り乱してごめんなさい、おばあちゃん家に行きたい。母にも早速便りがあったことを報せると、良かったねと抱きしめてくれた。朝っぱらから涙が止まらない。それは母の優しさに触れたから、という理由だけではないような気がする。
芦原温泉の方面に住んでいる父方の祖母。午前中は毎日のようにカラオケで演歌を歌うため、昼食を食べてから向かうことにする。そうなるともう1軒、福井に帰ったら行っておきたい店がある。これまたヨーロッパ軒の近くに、老夫婦の営む天ぷら屋があって、小さい頃からよく通っていたものである。
カウンター7席の小さな店であるため12時に予約を入れていたが、気の早いことに30分以上早く着いてしまった。11時半の開店を待ち、事情を説明すると普通に入れてもらえた。奥さんの方はすっかり腰が曲がってしまったが、それでも元気に動いていて安心した。

メニューはカウンター奥方面の壁に掲げてあって、たった7品である。一番安いのは1,100円の天丼。勿論今までのルールだと父以外はこれしか頼めないし、父は当然のように天婦羅定食を頼む。定食は都度天ぷらを揚げるため、私達が天丼を食べ終わってもなお父は食事の最中。全てを完食するまで黙ってその様子を見届けなければならなかった。
「思い出すね、あの不毛な時間」
「今もそんな感じなん、お父さん?」
「それがね、なんかちょっとおとなしくなってん。娘がおらんと寂しいのう言うて」
「え、意外……」
「すごい優しかった。恐竜博物館も一緒に行ってくれて」
「考えられへん。お父さん嫌いやったよねああいうの」
「文句は多かったけどね。暑いとか恐竜わからへんとか」
「まあ少しは柔らかくなったで」
「ふーん。でも未だ素直になれないな。何がチンチクリンよ」

定食に憧れはあったのだが、体が欲すのはいつもの天丼である。海老天1本とかき揚げ1個、これでも十分贅沢である。
まず米からいただく。水分量が良い塩梅で米の甘みを感じる。流石コシヒカリ発祥の地である。
「やっぱり福井のお米がいっちゃん美味しい!」
「やろ。私も驚いたわ、全然東京のとちゃうって」
「お米くらいなら送るよ。東京で買うと高いでしょ?」
「高い高い」
「お隣の津田さん、最近お米貰っても食べきれないからお裾分けしてくれるの。それ送るよ」
天ぷらに注目しよう。かき揚げの具材は烏賊のゲソ、蓮根、牛蒡、玉葱。胡麻油で揚げた香りはありつつも、どことなく卵焼きのようなニュアンスを感じる不思議な感覚である。
一方で海老天は、厚い衣で太く身の締まった海老を包んでいる。江戸前の甘いタレとは違う、控えめだけど確かな味。東京では絶対に出逢えないものである。
腹も心も満たされ、いよいよ芦原へと車を走らせる。えちぜん鉄道三国芦原線の沿線を北へ上ること約40分。道中特に何かある訳ではない。真っ直ぐ祖母が1人暮らす家へと向かう。

「おばあちゃん〜!」
「おやおや、みっちゃんも愛ちゃんも久しぶりやのう。元気にしとるかい?」
「忙しくて大変やけど、何とか生きとる」
「休むことも大事じゃ。観とるぞ、みっちゃんの番組。ほれ」
祖母は私の担当番組を全部録画してDVDに焼いてくれていた。演者として出ている訳でもなければ制作の根幹を担当している訳でもないのだが、エンドロールに私の名前が載っているのを見て幸せな気持ちになるらしい。
「すぐやる課はあれのう、エンドロールが高速で流れて、みっちゃんの名前見つけられへん」
「せやなぁ。どうも最近の番組はその傾向強くて、もう少しじっくり見せてほしい思うとる」
「昔はちゃんと見せてくれはったからな。でもみっちゃんの頑張り、見とる人は居る思うで」
「ありがとう……」
「大変なんやね、番組作るん」
「大変なのよ〜。裏でやること多くて、それが全然できなくて私……」
何でも話せる祖母の前で、私の涙腺は決壊した。わんわん泣きながら弱音を曝け出す。それでも祖母は優しく受け止めて慰めてくれる。だから余計甘えてしまう。
その様子を見た妹もまた、将来への不安を相談し始める。
「就活が不安すぎて。先輩の話聞いてると自信なくなって……」
「大丈夫。ダメだったら帰ってくりゃええ。その先のことはその時考え」
「……」
「頑張るだけ頑張って駄目やったら仕方ないことや。そんな不安することない。愛ちゃんの優しさを受け止めてくれる人、絶対おると思う」
「せやね。私だって就職できたし、愛ちゃんも何とかなるよ」
大きな多幸感に包まれ、この時間が永遠に続いてくれればと思ってしまう。休暇がもうすぐ果ててしまうことへの寂しさを痛感した。
私も妹もお手伝いして、烏賊のフルコースディナーを作り上げた。烏賊と胡瓜の酢の物、烏賊刺し、イカリング、うま煮、烏賊飯。福井の美しい日本酒によく合うものである。
そして芦原は温泉地である。家に温泉、は流石に無いので近くの日帰り温泉を利用した。せっかくだからと2軒もハシゴしてしまった。

その帰り道、ふと空を見上げると星が綺麗である。東京ではまず見ることのできない星空である。
「嫌なこと忘れちゃうね、星空眺めてると」
「そうだね。追われていることも忘れちゃってた」
「追われている?」
「あっ。いやいや、何でも。ねぇ、やっぱ福井って良いよね。離れて初めてわかったよ、故郷の偉大さ」
「大丈夫?お姉ちゃんに何かあったら…」
「大丈夫。私もう大人だから。自分で何とかできるよ。せっかくあったまったのに冷えちゃう、早く帰ろう」
光子と愛が祖母の家で寛いでいた頃、実家に不審な車が停まる。そこへ休憩のため建が家に戻ってきた。車の主は威厳ありそうな彼の姿を見て怖気付いたようで、すぐさま退散していった。