福井県出身の五木光子。東京で大好きなテレビ番組のADとして働いているが、過酷な労働についていけず怒られてばかり。気力体力を消耗し出世も見込めない中、やっと1週間の休みを取得できて初めての帰省。有名番組のADをしている娘を誇りに思う両親に、自分の置かれた状況を打ち明けることができずにいた。
帰省3日目は父も丸一日休みであった。父が珍しく「どっか行きたいとこあるか」と問うてきたので、無理を承知で恐竜博物館をリクエストしてみると、これまた珍しく二つ返事で快諾してくれた。
恐竜博物館は福井市の中心部にある、と勘違いしている人も多いであろう。実際は勝山市という、石川・岐阜県境に近い山間部に所在する。付近には西日本最大級のスキー場のひとつ・スキージャム勝山もあるくらい山深い場所である。電車であれば福井駅からえちぜん鉄道に乗って1時間弱、そこからバスでさらに15分弱。車なら途中止まらず行けばより早く行けるが、実家のある福井市の海沿いから車で行こうものなら1時間以上平気でかかってしまう。それでも父は、みっちゃんが運転してくれるなら構わないと言って同行してくれた。
その道すがら、これまた福井の名物であるおろし蕎麦を食べることになった。永平寺町にある名店「けんぞう蕎麦」を父が事前に予約していて、恐竜博物館に行く通り道に丁度あったため都合が良かったのであろう。
*福井駅から鉄道利用で今回のコースを辿る場合は、恐竜博物館用交通セット券を購入しましょう。えちぜん鉄道内途中下車ができ、かつ勝山からのバス運賃も賄えます。けんぞう蕎麦の最寄駅は松岡駅。

付近には福井を代表する日本酒・黒龍の直営店があるが日曜日のため休みであった。蕎麦屋の駐車場に車を停め店に向かうと、11時半で待ちが5組ほど。これでも空いている方である。予約はしていたが先客がなかなか出て来なかったため、下足箱近くの狭い待合スペースでテレビを観ながら待つ。シューイチでこの店が特集された様子を延々と流してある。3巡目を見ている途中で席が空いたため案内される。15分弱の待ち。予約時刻より早く着いても席が空いていたら通してくれるルールだったらしいので、早めに家を出るべきだったのかもしれない。
この店の蕎麦には2つの食べ方がある。出汁と鰹節、辛味のあるおろしをぶっかけた通常のおろしそばに加え、辛味大根の絞り汁を出汁醤油で適宜割ったつけ汁に蕎麦をつけて食べるけんぞうそばが用意されている。ただ3人で来たからには五合そばを頼むべきである。大盛りの麺をシェアして、おろしとけんぞう両方の食べ方ができる。
*筆者は1人で行きました。1人の場合はおろしとけんぞうの両方を注文するのがお勧め。並で頼めばそこまで量多くないので十分食べきれます。

父は相変わらず酒を注文する。黒龍と同じ酒造が作る九頭龍。150mlの瓶で提供される。飲みきれそうなサイズ感ではあるが、この店には蕎麦前という概念が無く、通常の蕎麦店では定番の天ぷらやご飯ものも扱っていない。だから案外持て余してしまうことであろう。

蕎麦の出来上がりは早い方かと思われる。まずはけんぞうそばの食べ方で蕎麦を食べる。この蕎麦自体がとても品質の良いものであり、県内産と北海道のものをブレンドしているのだが、少し太くてワシワシとした食感がありつつ、掻き消されがちな蕎麦本来の香りが確と在る。それはまるで大黒柱のような頼もしさ。辛い大根の汁と合わさっても消えず、辛みに触発されて少し円やかな一面を見せたりする。次々と啜りたくなる素晴らしい蕎麦である。

ある程度食べ進めたところでおろしそばに切り替える。こうなると今度は出汁の良さに注目する。鰹節の旨味、そして大根の辛みとその奥にある甘みが、東国では味わえない控えめな出汁に溶け出す。それを大黒柱たる蕎麦が受け止めて抱擁する。美味い美味い。3人で五合などあっという間に完食である。もう二合追加してしまった。
「デザートも食いたいな。2人も食うか?」
「いいのお父さん?」
「ええに決まっとるやろ。遠慮せんで」
今までの父では考えられない寛容な態度の連続に、どうしても怪しんでしまった私。他人のこと言える立場ではないが、何か隠し事をしているのか。漁師の仕事を辞めるのか、誰かとトラブルになったのか、まさか余命が近いのか。いや、実の親をそうやって疑うのは気持ち良くない。善意だと思って素直に申し出を受け取ろう。

ソフトクリームとプリンを合体させたこの店の看板デザート「けなるいプリン」をみんなで食べる。

撮影用に記者会見の背景パネルみたいなものまで出してくれる周到ぶり。ソフトクリームには濃いめの蕎麦茶が練り込まれており、蕎麦茶の香り高さがミルクの濃厚さと対等に合わさって味わい深い。蕎麦の実を粉状にして塗してあるのも香ばしくて良い。下のプリンにも蕎麦茶が入っていて、滑らかなプリンが蕎麦茶の香りをふわりと受け止める。そして蕎麦煎餅は瓦煎餅らしい香ばしさの中に蕎麦の香りがあり、お土産でもあったので購入して帰った。
愈愈恐竜博物館へ向かう。学校の遠足やら友人との付き合いやらで何度も訪れてはいたが、家族で行くのは初めてであった。父は今を生きる魚介類にしか興味を持たず、恐竜などただの子供騙しだと言い張るから、恐竜博物館に連れて行ってくれとは冗談でも言えなかった。でも今の父にとって私は福井の大スター。頼みは何でも聞いてくれる。スターどころか福井の恥だと自負しているから、申し訳ない気持ちに心が押し潰される。

そういう時は窓を流れる景色を眺めれば良い。幸運なことに快晴であったため、雪を纏い鎮座する山々の稜線が映える。奥に見える真っ白な山は確か北陸を代表する名峰・白山。手前共の山々とは違い全身が真っ新な雪で覆われている。青天の最中に置かれ、雲の峰と見紛うほどの白。こういう景色を眺めどうでもいいことを考える時間が、ADをしていた3年間には無かった。社会人になって初めてまともに取れた長い休息を故郷で過ごす贅沢は何にも代え難い。

白い恐竜が見えてきたら間も無く恐竜博物館である。こういう観光地は県外客が中心で地元民は行かない、と言われがちであるが恐竜博物館に関してはそんなことはないと思っている。恐竜というコンテンツの面白さ、展示の壮大さ、土産の恐竜グッズの充実具合。何回でも訪れたくなる魅力がある。恐竜に興味の無い父にも楽しんでもらえる自信があった。

恐竜博物館の駐車場に到着。13時台入館で予約していたが丁度良い頃合いでの到着となった。

入口は3階だが、見学は地下1階から始まる。中に入ると早速長い下りエスカレーターに乗ることになる。吹き抜けを降りていくのでアトラクションのようなワクワク感が止まらない。現代的な建築に慣れていない父は腰が抜けそうになっていた。

ブルーライトに照らされた大きなドーム状の空間に恐竜の像や化石が所狭しと展示されている。そのどれもが大きくて迫力がある。

首長竜にいたっては階を跨いで鎮座しており息を呑まされる。

しかし今の自分に最も刺さる展示は親子のような2匹の恐竜である。弱肉強食の世で唯一心を預けられるのは家族である。父は厳格だがその背中は確かに頼もしかった。私達を養うために命懸けで漁に向かう。不漁で収入が減っても弱音を吐かず、腹に据えかねることがあっても愚痴らず、威厳を持って家族に接してくれた。
これは私の記憶に無いことであるが、私が4歳の頃、地元のショッピングモールで迷子になった。父は子供の遊びや買い物には付き合わず、中華ファミレスで堂々と酒を飲んで時間を潰す人である。しかし私が案内所へ連れて来られ、館内放送で迷子の旨がアナウンスされると、父は紹興酒が半分以上残っているのも気にせず、千円札1枚を置いて店を飛び出したと云う。
「みっちゃん、無事で良かった……」
母よりも早く案内所に到着し、涙ながらに私を抱きしめたとのことである。私を怒ることもなく、案内所の係員と私を連れてきてくれた人に一言礼を言ってその場を去った。
その代わり母が帰宅後たっぷり叱られたらしい。娘から目を離すな、それでも母親か、等自分のことを棚に上げて断罪していたが、娘を思う気持ちの大きさを実感したものだから、こんな亭主関白の振る舞いをされても許せてしまう訳である。
「あかんな、人多くて酔うわ。暑いねん」
「やっぱり無理やった?」
「無理やあらへんけど、人おらんとこ行きたいわ」
ここで私は、最後に訪れた5年前には無かったと記憶する新館に目をつけた。理由は特に無い。何となく気になっただけである。

3階から2階、そして1階へと下りエスカレーターを乗り継ぐ。またしても現代的空間に連れ込まれ足が震える父。そしてここにも、階を跨いで恐竜の塔という造形物が屹立している。福井県で発見された6種の恐竜が積み上がっており、改めて福井と恐竜の強い関係性を実感する。

1階に降りると、3面にわたる大きなスクリーンのある特別展示室が現れる。特別展の行われていない時期であったため、太古の福井とララミディア大陸における恐竜達の生活が映し出されていた。それは非常に過酷なもので、周りは全て敵であり、目が合えば激しい戦闘。体同士がベチっとぶつかる音、喉から轟く唸り声が妙にリアルであり背筋が伸びる。恐竜に息つく暇など無い。
烏滸がましいことであるが自分を重ねてしまう。忙しなく動き回り、何かと上司に詰められ、最低限の睡眠以外息抜きは許されない。ロケ現場では酔っ払いの高齢男性に絡まれ、スタジオ裏では面白いと思っていたとある出演者に貶される。自分が身を置いていた場所が戦場であったことを、太古の恐竜達に気付かされた。
「私……仕事辞めたい」
傍にいた父に、思わず本音を漏らした。ハッとなって口を押さえたが、父は穏やかな表情を崩さない。
「やっと正直に言うてくれたな」
「えっ?」
「俺はわかっとったぞ、みっちゃんが弱音隠しとること」
「バレてたかぁ」
「当たり前や、父親やぞ。いつもより何となく暗い雰囲気をしとった。顔もちょっと疲れとる。それに何故3年も帰って来なかった」
「忙しくて帰る余裕が無かったから」
「やろ。修学旅行先で家が恋しくて泣いとった寂しがり屋が帰って来へんなんて、余程忙しいんやろな思って」
「恥ずかしいよ。……こんだけ頑張っても、ちっとも仕事できるようにならへんくて」
「それも察しとったわ。不器用やったからな。漁の手伝いしても足手纏いやったし、勉強もできる方やあらへんかったし」
「お父さん!それは余計ですよ」
「失敬。でも何となく心配はしとった」
「その通りだよ。全然成長できてない。PどころかDにすらなれない。一生こき使われるADのままなんや私は……」
「アルファベットはようわからんが、事情は理解した。溜め込んでたんやな。少しは楽になったか」
「うん。少しやけどスッキリした」
「それなら良かった。あと3日ちょっとやな、ゆっくり休みなさい」

喉が渇いたと父が言うので、3階のレストラン(と謳っているが雰囲気は学食)で休むことにした。食事をするほど腹は空いていないが、恐竜博物館らしい飲み物が欲しいと、フクイベナートルの絵がストローに掛けてあるソーダを選んだ。エルダーフラワーのシロップを炭酸で割るというモクテルめいたものであり、マスカットに近い甘みとハーブらしい苦みを同時に感じられる洒落た飲み物である。ソーダシリーズには他にも苺とコーヒーのソーダ、ココナッツの効いたトロピカルソーダなど工夫を凝らしたものがラインナップされている。都会のバーや意識高い系カフェに慣れた人にとっては新鮮みが無いのだろうが。

「でもなみっちゃん、やっぱり隠し事は良くないと思うんや。何で言えんかった」
「それは……心配かけたくなかったから」
「嘘を貫き通す方がよっぽどしんどい。隠さず言うてくれたら一時の恥で済むやん」
「ごめんなさい」
「そんな疑心暗鬼にならんでもええのに。私達怒らんよ、仕事できなかったくらいで」
「そうだぞ。下手くそでもええねん。一生懸命やることが大事なんや」
「お父さんだって漁が上手くいかん時もあるし、酒で気が大きくなって失敗したこともあるし。完璧な人なんていないのよ」
「やからこそ、愛ちゃんのことはホンマに……失敬。暗い話はアカンな」
「いいのいいの。恐竜博物館、十分楽しめた。連れてきてくれてありがとう」

しかし私は未だ親に全てを話せていなかった。恐竜の勢いを以てしても打ち明けられない、ふしだらな話を抱えていたのである。