連続百名店小説『みっちゃん』第一話(ヨーロッパ軒 総本店/福井城址大名町(福井))

 名古屋発の高速バスがもうすぐ私の故郷に着く。東京を出発して8時間、普段は寝る間も無いくらい忙しく働いているのに、いざ寝ようと思うとすっかり目が冴えて眠れない。今や北陸新幹線が福井県まで延びたというのに、何も成長していない私は高速バスを2本乗り継いで帰郷している。

  

 恐竜の像が現れた。福井駅である。長旅を終え、3年ぶりに踏む故郷の地。感慨深さは程々に、痛感するのは自分の無力さである。上京する時、福井駅ホームにて、笑顔で帰ってくることを誓ってサンダーバードに乗り込んだ3年前。今は心から笑顔でいることができない。でも帰りたかった。帰りたいというか、逃げたかった。

  

 迎えの車を発見した。3年前と変わらない中古車である。親に落ち込んだ顔を見せたら心配をかけてしまうので作り笑顔で接近する。
「お母さん!お父さん!」
「みっちゃん!元気やったかい?」
「元気にやってる!憧れの番組制作に携われて、毎日が楽しい!」
「それは良かったね」
「自慢の娘や。あの番組のスタッフやってる、ゆうたら皆驚きよって」
「すっかり鼻高々よ。3年前はあれだけ反対しとったのに」
「娘の決めた道、反対するものやない。立派にやってりゃそれでええって、3年前に戻って教えてやりたいわ」

  

 立派になんてなれていない。制作会社に入社して3年、確かに人気番組のADを務めてはいるものの、いつまで経っても全然仕事ができない。立ち位置は間違えるしアポ取りは下手だし提案する企画はつまらない。現場ではディレクターやプロデューサーから怒鳴られてばかりであり、この前なんて飲みの席で上司から面と向かって「使えない奴」と言われてしまった。ポンコツADとして社内で評判となってしまった自分。ディレクターへの昇進はもはや夢物語である。況してや人気番組のプロデューサーなんて任せてもらえる訳がない。

  

 今回帰郷したのも、いずれ本格的に帰郷して働くことを見据えたものである。半ば辞める覚悟でいたから休暇は堂々と取れた。1週間のんびりしながら福井での働き口の当でもつけておこう、と考えていたが、両親がADとしての自分を誇りに思っていることを知り、内心焦りを隠せない。

  

「夜どこ食べ行くか」
「あっ!えーっと、そうだ!ヨーロッパ軒!」
混乱の中でも飛び出した福井の名店の名前。それくらい体は故郷のソースカツ丼を欲していたようである。父も二つ返事でそれを受け入れて、態態コインパーキングに車を停めてまで連れて行ってくれた。

  

 笑点が始まろうとしている時刻に訪れるとそこまで混んでいなかった。いつも通りレディースカツ丼セットを頼もうとすると、父が待ったをかけた。
「本当にええのか?」
「いいって、いつもこれだよ」
「3種盛り食べたそうにしてたやろ」

  

 カツが1枚になる代わりにメンチ・海老フライが入った3種盛スペシャルカツ丼。1階席の客は殆ど全員が注文していた。通常のカツ丼と双璧をなす人気商品と思われるが、他のものより少し高めであり、家族の中で頼んで良いのは父のみ、母と自分は大人しくレディースセットで我慢、というルールが制定されていた。
 レディースセットでもカツは2枚載っているし、デフォルトでサラダと味噌汁がつく。サラダはマヨネーズベースのドレッシングの味が濃くて美味しいし、洋食屋でありながらスープは味噌汁であるという安心感もあって、これはこれで文句ないものであるが、父の食べる3種盛には憧れを抱いていた。

  

 そんな厳格な父が珍しく憧れとの対面を薦める。すっかり自分のことを一人前と認めてくれているようであり、嬉しいことではあるが申し訳無さの方が勝る。
「ええから食べや、3種盛り。母さんも食いなさい、遠慮せんと」
「じゃあお言葉に甘えて」

  

 初めて食べるヨーロッパ軒のメンチ。薄さもあってか学食のメンチを想起するが、玉ねぎなどの野菜でお茶を濁したりせず、肉の味わいがきちんとある。肉汁もたっぷりである。
海老フライは薄い開きにしているため、海老らしい味は少し感じにくい。米と合わせず単体で食べた方が味わいやすいと思った。
 それにしても米が美味い。東京ではほぼ惰性でしか白飯を食べていなかったが、故郷に帰ってくると改めて米の美味しさを実感する。福井で誕生したコシヒカリを、これまた福井のブランド米である華越前とブレンド。炊き加減も丁度良い。地元をより誇らしく思い、同時にもう東京になんて戻りたくないという気持ちも湧いた。
 そして真骨頂のとんかつ。ジュワッと脂が溢れる。それでもきめ細かいパン粉で作られた衣、単体だと酸味も感じられるソースが程よく味を切るから重くない。カツと共に美味しい白米をたっぷり口に含む。特殊な食材を使っている訳ではないから、高級店のような美味しさとは違う。だからこそ日常食として愛着が湧くものである。
「懐かしい。懐かしいよこの味……」
「東京では食えんやろ」
「とんかつ自体食べてないかも」
「ロケ弁とかで食べないの?」
「意外と無いんだよね。カレーとかのり弁が多くて」
「偶に見るやっちゃな。美味いんか」
「美味しいよ。お父さんお母さんにも食べてもらいたい」

  

 実際はロケ弁すらもまともに食べられていないことを、白状する勇気は出なかった。通常スタッフの分までロケ弁は用意されるが、忙しすぎて味わって食べる余裕が無いのが常。普段の食事もカップ麺やコンビニのおにぎり、パンを1つだけ食べてお終いである。
 また、あまりの忙しさ故に家も都心に借りざるを得ず、収入の大半は家賃に消えてしまう。自由に使う金は限られ、偶に家に帰れば精魂尽き果て寝落ち。人間らしい生活などとうに捨ててしまった。

  

 ヨーロッパ軒のソースカツ丼は、福井で暮らしていた頃の明るい自分を思い出させてくれるものであった。この感動を根っから親に伝えることができないのがもどかしい。懐かしい、美味しい。ありきたりな言葉だけ並べて夕食を終えた。

  

 実家に帰ると間も無く、いつものように寝落ちしてしまった。炬燵の中で落ちたので母が毛布をかけてくれた。明日から再開する故郷での人間らしい日々を心待ちにして、頬を緩ませながらぐっすり眠った。

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