不定期連載小説『Time Hopper』
現代を生きる時生翔(ときお・かける)は、付き合っていた彼女・守田麗奈と共に1978年にタイムスリップしてしまった。そこへ謎の団体「時をかける処女」の代表「ま○ぽ」を名乗る女性が現れる。翔は若かりし頃の麗奈の母・守田トキと共に『ラブドラマのような恋がしたい』という企画に参加させられ、過去と現代を行ったり来たりする日々を送る。
—第8幕:翼は要りますか—
「翔くん、今日は私の歌いっぱい聴かせてあげる」
「カラオケか。楽しみだ」
「カラオケ?何それ?」
「あ、この時代ないのかカラオケ」
「歌声喫茶に行くわよ。喫茶店に集まっている人たちみんなで歌うんだ」
「何それ、楽しそうだね」
「一体感がクセになるんだ。あとは…」
*この後、この店が歌声喫茶であるような描写をしますがもちろん嘘です。あくまでもフィクションであること、ご理解ください。
1971年の池袋駅西口には閑散とした公園と、風俗店の建物が目立っていた。
「嫌な雰囲気…よく平然と歩けるね」
「池袋とはこういうものでしょ」
「現代の西口も、酔っ払いの唾とかゴミとか多くて歩きづらいんだ」
「東口は綺麗になってしまいましたけど、西口は風情が残っていて素敵ですね」
「素敵なのか…独特な感性してるなこの人は」
歌声喫茶には3組程の待ち客がいた。ここにもゴミが溜まっていて、一瞬並ぶのを躊躇ってしまう。しかし出てくる客も多くて比較的スムーズに入店することができた。
「はぁ、暑いね〜」
「そうですか?丁度良い春の陽気ですけど」
「俺暑がりなんだよ。腹に良くないけど、冷たいコーヒーじゃないとダメだ」
「あら良いじゃないですか。この店はアイスコーヒーに力を入れてますのよ」
12時間かけ丁寧に抽出する水出しアイスコーヒー。大人っぽくもフルーティな味わいであり、暑さも相まって無我夢中で飲んでしまう。ミルクを入れるとフルーティさがよりはっきりし、ミルクの甘みも合わさって貫禄が生まれる。
「素晴らしいねこれ。コーヒーゼリーにしても絶対美味しいよ」
「夏限定ですけどありますよ。今度来たら頼んでみましょ」
「でも煙草吸えるのがネックだな」
「あら、いけませんの?私は吸いませんが、この時代では普通に吸えますわ」
「現代は煙草吸いなんて敬遠されて当たり前の存在。喫煙者以上に非喫煙者が迷惑被るんだ、副流煙ってやつに」
「フクリュウエン?」
「反対側から出てくる煙の方がより肺や喉、血管に悪いんだ。保健の教科書には愛煙家のどす黒い肺の写真載ってるし」
「そうなんですね…」
「現代では1箱600円するからね」
「高いですね…」
「まあ良い傾向だと思います。そのうち違法薬物になるかも」
合わせて頼んだスイーツはモカトルテ。スポンジがわしわしとしているがクリームも多く入っておりバランスが取れている。
「歌声喫茶で歌う歌ってどういうの?世界に一つだけの花とか?」
「知らないその歌」
「あそうか、現代の感覚で言ってしまった」
「流行りの歌なら大体歌うよ。私は蘇州夜曲が好きかな」
「蘇州夜曲?ああ、朝ドラでやってた」
「朝ドラ?」
「笠置シヅ子さんをモチーフにした主人公が歌ってた」
「身近な人物が朝ドラの主人公…不思議な感覚です」
アイスコーヒーを飲み干し体の熱りが治った翔はホットコーヒーを所望する。少しつっけんどんな店員に2杯目のコーヒーを頼むのは勇気がいる。
「安保闘争、このまま終わっちゃうのかな」
「俺達が一丸になってもこの国は変えられないのか」
「はあ、歌う気力が湧かない…」
「トキさん、なんかみんな元気ないですよ」
「そうね。もうみんな諦めムードになっている」
「多分この後あさま山荘事件とか起こるんだよね」小声になる翔。
「そうそう。あの暴力的な様を見て、みんな運動への興味を失い始めた」
「そうして世間は権力に従順になった。現代ではこの国を変えようとする者は世間から蔑まれる。悲しいもんだ」
この店最高級のコーヒー・モカマタリを戴く。酸味の強さが特徴的で、ミルクを入れてしまうとヨーグルトのような、コーヒーに似つかわしくない酸味に変わってしまう。ブラックで飲めばとても美味しいコーヒーである。
「トキさんの歌声聴きたくて来たのに、全然歌う雰囲気じゃないじゃん」
「2人で歌いましょう。そしたらみんなついてきてくれるかもしれない」
「俺の知ってる限り古い曲…そうだ、これならみんな歌える」
♪今 私の願いごとが…
すると狙い通り、Aメロの2回し目からその場にいる客が歌唱に入ってきた。
♪この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいよ
「うたごえ作戦、大成功だよ翔くん!」
「皆さんありがとうございます!実は僕、未来から来た者です」
さすがに信じる様子の無い客達。
「まあ信じられないですよね。でもこの『翼をください』は、2024年現在でも小学生以上なら大半の人が口遊める曲なんです。自由を求める心は、形はどうであれいつの時代も不変です」
翔とトキは客達に胴上げされる。
「自由!自由!自由がほしい!」
「トキさん、どういうことだこれ⁈」
「身を任せて。力入れると投げ手に負担かかるよ」
「抜けないよ!あぁ!」
受け止めきれなかった客達。2人は客達の間をすり抜け、地面のさらに下へ落ちて行った。
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