フランス帰りのカケルは、「アパーランドの皇帝」として問題だらけのこの国に革命を起こそうとする。かつてカリスマ的人気を集め社会を変革しかけたアイドルグループ・Écluneをプロパガンダに利用しながら。
*この作品は完全なるフィクションです。過激な話が展開されますが、実在の人物・店・団体とは全く関係ありませんし、著者含め誰かの思想を示すものでもありません。
強盗実行日当日の夕方。カケルはボブ率いる実行役の出発を見届け、18:00に予約していた焼鳥屋を1人で訪れた。帰国以来初めて食べる焼鳥は、幼き頃食卓に並んでいたカチカチのものとは違うと聞いていて、どんなものなのかと心をワクワクさせていた。

エーデルピルスという生ビールを注文。熱気が空調を打ち負かし汗が引かない。狭い焼鳥屋の特性上仕方ないものであるが、暑がりのカケルにとっては居心地が良いとは言えないものである。

まず登場した料理は鶏出汁のスープ。枝豆、じゅんさい、そして昆布締めした鶏肉を湯通ししたもの。花紫蘇のさわやかな酸味が纏め上げる。しかしほんのりロゼ色の鶏肉に一抹の不安を覚えるカケル。
「フランスでは牛肉のタルタルはあるけど、鶏肉は完全加熱だからな。この国の高級店だから安全だとは思うけど、ちょっと怖い……」

鶏(せせり?)と冬瓜の土佐酢和え。ケッパーで酸味のアクセントを足す。鶏からほのかに溶け出す脂が堪らない食べ物である。
この日は常連客が多数を占めており、新規の客は手前の2席に座ったカケルと東大生のみであった。2人とも積極的に他人と話すタイプではなく、店主はじめとした店員は常連客と会話をする。疎外感はあるものの、その方がカケルにとっては都合が良いものである。
「ボブ達、順調に進んでるかな?社長の帰宅前に到着できると良いのだが」
道路交通情報を見ると、帰宅ラッシュということもあって渋滞の赤が目立つ。この時点で時刻は18:20。社長は20時前後に帰宅する見込みであり、あまり長居すると怪しまれるため19:30くらいから社長宅に張り込む予定を立てていた。1時間程度で到着できる距離のため余裕は十分確保したつもりであったが、カケルは気持ちが逸り不安になってしまう。

それでも今は目の前の焼鳥に向き合うべきである。串はふりそでからスタート。塩胡椒の号令でジュワッと肉汁が溢れる。特に上の1ヶは、軟骨っぽいコリっとした食感から脂身の柔さまで網羅しており面白い。

次は大ぶりな砂肝。塩がばっちり効いており食べ応え満点である。

フランス原種の鶉の卵・エルフランス。よくある鶉の卵と比べて張りのある卵膜。一方で味付けはソフトに。黄身よりも、厚みのある白身に味わいを見出す。
「フランスでも鶉の卵は食べるけど、こんな美味いの食べたことない。いちいち質が高いな、この国の素材は」
感動しつつも気になってしまうボブの現況。軽くLINEを送ってみる。
「渋滞大丈夫?」
「大丈夫じゃないです。全然動かなくて」
「そっか。まあ本当は今日決めたいところだけど、焦らず行こうか。俺も不安っちゃ不安なんだけど、気楽でいた方が上手くいきやすいように思えてきた」
「わかりました。チャンスは未だありますもんね」
「マスコミやネット世論が余計な刺激加えて社長が逃亡しない限りな。あと強盗を実行できるとなったら集中力MAXでな」
「勿論ですとも」

せせりにはホースラディッシュを削って。プリプリの身にペッパーとホースラディッシュの刺激。これまた食べ応えのある串である。

小皿に盛られたハラミはかぼすポン酢で。鶏肉の脂とかぼすのあっさりした酸味が対をなす。高級焼鳥の醍醐味をカケルは知った。
「しかし何故この国の道路は渋滞するのだろう。地形の問題?サグによる速度低下が原因とも言われているな。でもやっぱり、みんな挙って同じ時間に同じ方向へ移動する横並びの国民性が問題だ。もっとみんなが思い思いに余暇を取ったり通勤時間を変えたりすれば良いものを。この国の同調圧力はしぶといぜ……」

嘆いているところへポテトサラダと朝獲れ玉蜀黍。ポテサラは燻製っぽい香りがある。そして店主の自慢は甘みの強い玉蜀黍。瑞々しさの中に溶けている甘みを確かに受け取った。
「何とか渋滞は脱出しました。10分くらいでインターチェンジを降りる見込みです」
「そっか。良かったな」
「ただ一般道も混雑する傾向にあるので油断はできません。信号の連携が悪いんですよね、社長宅への道は」
「信号の連携?」
「青になったと思ったら次の信号が赤になる、というのがずっと続くんです」
「嫌がらせじゃんそれ」
「そうなんですよ。そこに渋滞も加わると大幅に遅れること間違い無しです」
「了解。もし渋滞にはまったらまた報告してくれ」

カケルの元には、長唐辛子の肉詰め白湯餡掛けが登場。粗挽きの肉に濃厚な白湯が入り込む。少しの麺を最後に入れても美味しいと思われる。


ここでビールが空いたためsakeを見繕う。タブレットに一覧が記されており、人気銘柄を多数揃えている印象。プレミア酒の十四代もひとつラインナップされていて値段も悪くない(あの永楽食堂でも同じくらいの価格である)のだが、ここは未知の銘柄「天の戸 Land of Water」を選んだ。夏らしく清澄でフルーティーなものである。

ねぎまは肉はがっしりとしつつ淡白な味わいであるため、大葉味噌の味で補完すると良い。

口直しに桃のグラニテ。フランス暮らしの長かったカケルは懐かしさを覚える。実直で濃い桃の味に、幼少期の八百屋の記憶が蘇る。
そんなノスタルジーに浸かっていた時のことであった。
「カケルさん大変です!煽り運転に絡まれました!」
「煽り運転⁈どういう状況だ?」
「いきなり前に出てきて、他に車がいないことをいいことに蛇行運転を繰り返すんです。追い抜きたくても抜けなくて、しかもゴミ投げつけてきて!」
「デリソバのゴリラやんそれ。フレンドパークの」
「喩えツッコミしてる場合じゃないです!」
「すまない、幼少期の記憶に浸ってた。まあ暫く相手に合わせなさい。強盗のことは二の次でいい。先ずは煽り運転する猿を追い払うんだ」

冷静に遇らったカケルはハラミとにんにくの芽の串を戴く。薄くも噛み応えのあるハラミに、にんにくの芽の味がガツンと刺さる。

ほぼ同着でよだれ鶏。器のせいかタレが絡みにくく、あまり味わえないカケル。
煽り運転もまた、この国における大きな交通問題である。カケルは煽り運転をするドライバーを人として見ておらず、動物のように檻にぶち込んで生態を観察する対象にしようとさえ思っている。
「あれは獣だ。人間のルールなんさ通用しねえ。獣らしく始末してやりゃいいんだ」

つくねには卵黄の代わりにきんかんを絡ませる。こちらの卵膜も鶉の卵と同様に強固であり、黄身の臭みが無いのも素晴らしい。
「煽り運転のドライバーが、外に出てきました!」
「周りに人いない?」
「いません!」
「じゃあやってしまいなさい」
「やるって?」
「轢き倒すんだよ」
「えええ、轢く⁈」
「そこから出てきたのは人間じゃなくて熊だ。退治してしまえばいい」
「そんなことしたら!」
「俺の指示に従えば大丈夫だ。まず呉々も車体を傷つけないように」

白レバーパテをこんがりキャラメリゼ。塩を含んだ生クリームを載せ、下には圧縮したパンを敷く。甘くする調理により引き出されるレバーのコクと塩気が堪らない逸品である。
「当てたか」
「当てました。上手く相手の車との間に挟みました」
「よし、そのまま挟み込んで失神させろ」
「いけるかな?」
「アクセルの踏みは少しずつ強くすること。骨を砕き血流を止めるイメージで」

焼鳥の最後は手羽先。味付けは控えめだがとにかく熱々。猫舌のカケルには過酷であった。
「どうだ、熊の様子は?」
「身動き取れなくて焦ってます。投げるものも無くて、ひたすら腕を振ってますよ。滑稽ですね」
「滑稽だな。ただあまりバカ騒ぎされると人が集まる。今のうちに誰か出てきて首の後ろをバールで殴れ」
「かしこまりました」
実行役は総仕上げとして煽り運転のドライバーを失神させ、C運輸社長を載せるはずだった場所に格納した。強盗の計画は先送りになったが、これはこれでカケルの理念に適う収穫である。

一方でカケルの楽しむ焼鳥のコースも総仕上げである。〆の食事はそぼろ丼かカレーから選べるが、ここはどうしても後者に唆られる。スパイスよりもいぶりがっこ由来の燻製香などが効いている。
「タキヤマプリズンに送り込むまでが任務だ。呉々も安全運転でな。入ったらC-5実験独房に閉じ込めておきなさい。車の傷は大丈夫か」
「ちょっと傷つきました」
「しゃあない。その辺で傷を修復すると足がつきやすい。高速のSAで直そう」
「すみません、無傷でできなくて」
「謝ること無い。犯人が暴れないよう鎮静剤を注射しておけ。針刺し事故には注意な」
「承知しました!」

最後にアイスを食べるカケル。見た目は赤肉メロン味だが、実際は色の濃い比内地鶏の卵黄を使った、少しジェラートに近い質感のアイスである。
ここで漸く店主がカケルの隣にいた東大生に話を振る。農学を専攻しているとか、アド街で観てこの店を知ったとか、東大生らしい口調で述べていた。あまり人と話したくないカケルは、その彼が支払いを済ませるや否やすぐチェックをお願いするが、それで自分が会話を回避できる訳では無い。
「今日はどちらから?」
「あ、まあ都心の方から」
「アド街観て?」
「そ、そうですね」
真っ赤な嘘である。土曜9時はふしぎ発見を観たいのに、家族皆がアド街を観ていて疎外感を覚えていた幼少期の嫌な記憶を必死に抑え込む。
「焼鳥はよく食べるんですか?」
「ま〜〜あ〜〜〜初めて…………ですかね」
「そうなんですね……」
変な間を作ることにより見事会話を途切れさせたカケル。会計は1.5万円弱であり、(ストップ制でない)高級焼鳥の中では少しお高めの部類に入る。カケル個人としては、その価値を咀嚼することができなかったようである。
「タキヤマプリズンに行こっと。スーパーの焼き鳥弁当でも買って、ボブ達を出迎えよう」