百名店小説終戦の日SP『愛する人を守れるのか』(ヒロ ヤマモト/篠崎)

8月15日の昼下がり、女性アイドルグループTO-NAの特別アンバサダーを務めるタテルは、元メンバーのサリナと再会する。待ち合わせ場所に指定されたのは、サリナがこの度所属することになった事務所の一室である。

  

「サリナ!久しぶり!」
「タテルさん!会えて嬉しい〜」
「ナント・モース所属になったんだって?」
「そうなの!これからはキャスターやリポーターもやってみたいな、って思って」
「いいじゃん、面白いサリナをまた表舞台で観られるの、めちゃ嬉しい」

  

事務所最上階のラウンジに移動した2人。大きなガラスが張られており都会の青空がよく見える。サリナの友人である希典坂の元メンバー・Re.KEIOが地元篠崎にある「ヒロ ヤマモト」のケーキを差し入れしてくれたため食べることにした。

  

まずは旬のフルーツを使ったショートケーキから戴く。桃とシャインマスカットの2種類があったが、マスカットの旬はもう少し後だと踏んだタテルは桃を選択した。

  

雲一つ無い空のように瑞々しくて雑味の無い桃。生クリームは少なめに思えるが、フワフワのスポンジと混ざり良い口溶けに。主役はあくまでもフルーツであり、クリームと合わさってもフルーツの個性がわかるように仕上げている。

  

「ごめんな、綱の手引き坂の独立騒動で心配かけて」
「いいのいいの。タテルくんなら絶対救ってくれると信じてたから」
「あんなに可愛くていい人達を、不幸にさせる訳にはいかないからね。本当は坂のままでいたかったけど」
「希典坂さん檜坂さんが綱の手引き坂を追い出した、みたいに言われてるけど、本当はメンバーどうし仲良いからね」
「上に立つ人が勝手に分断を生み出した。戦争と同じなんだよな。79年前に幕を閉じた、あの戦争と…」

  

パティスリーウィーク(現在は終了)中に売り出されていたサヴァラン。アールグレイ・オレンジ・ラム酒の効いたシロップが溢れ出す。じわじわとアルコールが回ってくるが、生クリームが円やかに平定してくれる。全てが個性を持ちつつも綺麗に纏まった平和なスイーツである。

  

俺にはわからない。わからないというか、わかろうとしたくない。争いに勝ってまで何を得たかったのか。喧嘩するよりも仲良くする方が良いに決まってる。
無関係の国民を要らぬ喧嘩に巻き込むとは罪深い。贅沢を取り締まり日夜働かせ、戦況は優勢だと嘘をついて国民を発奮させ、学生すら戦地に送り込み、特攻で兵士の命を砕けさせ、本土の市民を爆撃に巻き込んだ。

  

「やっぱり嘘は良くないよね。隠したくなる気持ちはわかるけど、いつかは人を傷つける」
「綱の手引き坂が独立してTO-NAになり、俺が上に立った時、嘘はつかないと決心した。結果メンバーを守ることができたと思う。規模は違えど、人々が幸福に生きる権利を、為政者が侵してはならない」

  

たっぷりのフルーツをバタークリームでサンドしたケーキ。ベタつきのないすっきりとした切れ口で、こちらもフルーツを主役に立てている。勿論フルーツ自体も嘘の無い高品質な物。平和な青空を眺めながら、フルーツの多様性を楽しめる喜びを痛感する。

  

「私も早速戦争についての勉強始めててさ、すごく衝撃的なもの見つけたんだ。このビラなんだけど」

  

爆弾を投下する軍機をバックに、12の都市名が書かれたビラ。ここに空爆が行われる、という敵軍からの予告であり、裏には親切に避難指示および軍事政権からの解放を約束する文言が書かれていた。
「ああ、見たことある。Wikipediaに載ってたかな」
「でもねこれ、当時の人々の目に触れることは無かったの。軍部によってすぐ回収された。もしこれを持っていたらその人は周りから白い目で見られただろう、って」
「間違った空気感。その当時は誰も正せなかったのか」
「正せる雰囲気ではなかったんだよね…」
「皆が救われる選択をしようとする人が非国民扱い…そんな危険な時代がまた、来ようとしている」
「どういうこと?」
「ネットを見ていると、ちょっとした発言や指摘に対して『お前は反日だ』と叫ぶ輩がいる。排外主義がネットにおいては主流だ」

  

アニスを効かせたチョコレートケーキ。チョコとアニスの芳しさ、およびナッツの食感を存分に楽しめる。アニスはこの国では馴染みが薄く、毛嫌いする人もいるかもしれないが、慣れれば好きになれるものである。

  

「パリオリンピックで顕著だった、選手への誹謗中傷。その最中に、人気者Aが人気者Bを中傷した。SNSでAを叩く者、選手を中傷した奴を断罪する者。彼ら自身が、他の投稿で誰かを傷つけるコメントをしたり排外主義を振り翳したりしている。自分自身が同じ穴の狢であることに気づいていない恐ろしさといったら」
「わかる。心が痛くなるね」
「大手SNSは中傷、極端な排外思想を見て見ぬふり。通報しても対処しない。最も問題なのは、あろうことかネットメディアが中傷を煽るコタツ記事を書き、大手ポータルサイトがそれを平気で載せること。そこに群がるネットユーザーは口々に賛同するコメントを残し、サイト運営に煽てられる」
「まあ!それは本当に許せない…」
「今は新聞やテレビよりネットの影響力が強い。ネットは規制が緩く、嘘まみれだし危ない思想も受け入れられやすい。そして匿名性を笠に着た好戦的な人々が集まる。戦争に向かう風潮は、日に日に強まっていると思う」

  

もっちりとした生地のフィナンシェは、穏やかだけど確かなバターの香りがした。

  

アプリコットの焼き菓子も、アプリコットの実の存在感が強く食べ応え満点である。

  

普段はお喋りで知られるサリナでさえ、タテルの溢れる想いを前に口数を減らしていた。

  

「TO-NAのみんな、綱の手引き坂OG、パートナーの京子…暴力が許されるこの国で、俺は愛する人を守り抜けるのかな…」
屋上に出て青空を眺めながら、タテルがぼそっと呟いた。

  

「大丈夫だと思うよ、その優しさがあれば」
サリナは励みになる言葉を発した。
「戦争は何としてでも避けなければならない、暴力は何があっても振るってはならない。それを解る人の方がまだ多数派だと思う。これから生まれ来る子供達に、戦争はつらいよ、暴力はダメだよ、ってちゃんと教えてあげる。それを欠かさなければ、平和は続く」
「そうだな」
「私自身も原爆の落とされた都市出身の身として、この時期は戦争の悲惨さを伝える。それが、ナント・モースに入った理由のひとつかな」
「そうなんだ。サリナがいると心強いよ。一緒にこの国の平和を守ろう」
青空の下、2人は固い握手を交わした。

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