東京ラーメンストーリー外伝『生まれ変わっても、アイドルになりたい。』前編(山東2号店/元町・中華街)

人気女性アイドルグループ「綱の手引き坂46」からエースメンバーの佐藤京子(26)が卒業する。卒業コンサート当日、綱の手引き坂特別アンバサダーを務め、京子とラーメンYouTubeをやっているタテル(26)も、会場である横浜スタジアムに向かっていた。

  

開演の6時間前、関内駅に降り立ったタテル。横浜スタジアムはすぐそこにあって、リハーサルの音が漏れていた。京子がグループにいる最後の日だからメンバーには水入らずで過ごしてほしく、タテルは独り中華街で食事することにした。せっかく人の少ない平日だから、いつもは行列の絶えない名店「山東」を狙うことにした。目論見通り待ちはなく、すんなり2階に通された。

  

接客は中華街クオリティで、決して気持ち良いものではない。話しかけづらいオーラが店員から滲み出ている。勿論懐に入ってしまえば問題は無いのだが、一匹狼のタテルにはできる訳が無かった。

  

当初は単品注文を検討していたが、品数たっぷりのコースを発見する。一番安い2000円のコースでもエビチリ・麻婆豆腐・春巻・水餃子など定番メニューを網羅していて惹かれるが、「2名様から」と書いてある箇所が訂正され、横に「1」と書いてあった。しかし「2」が丸く囲まれたようになっていて「10」とも読み取れる。聞いてみると、まさかの「10名様から」が正解だった。もうちょっとわかりやすい訂正をしてほしいものである。

  

アイドル京子の姿も今日で見納め。だがその寂しい気持ちを共有する相手は持ち合わせていない。周りは春休み最後の日を楽しむ母子やデート中のカップルばかりで、皆綱の手引き坂のことなんか無関心のようである。

  

重めの紹興酒を飲みながら独り京子の思い出に浸っていると、5人客が来たため席の移動を要求された。しかも移動先の席には調味料の用意が無く、隣との共用を強要される。
「やっぱ皆といた方が楽しいな。1人でいると何か陰気になってしまう。でも1年ちょっとの付き合いの男が最後の時間を邪魔するのは違う。これでいいんだ」

  

何とか自分を言い聞かせ、単品で頼んだ水餃子を噛む。これが耳目を集めるだけあって美味しかった。ダマのない綺麗な皮、肉汁を閉じ込めた餡。ココナッツ醬を載せると旨味が丸く押さえ込まれる。

  

水餃子だけだと飽きると思い頼んだオリーブチャーハンも、オリーブの実らしさはあまり感じられなかったが、オリーブオイルが使われているので通常のチャーハンよりあっさり、でも夢中になって食べられる。

  

追加注文は憚られる空気感であったが、懐に入っていた隣の客が胡麻団子を頼んでいて、タテルもそれに乗っかり水出し烏龍茶を何事もなく追加注文した。台湾らしい黄金色の烏龍茶は心落ち着く味である。
「差し入れだけはしようかな。悟空茶荘で茶葉買ってお茶淹れてあげよう。お菓子は聚楽で中華菓子かな。口の中パサつくかもだけど、土産に持って帰って貰うのもアリだし」

  

会計も1階のホール担当が1人しかおらず待たされ、タテルは少し拗ねていた。

  

海を見て気分転換したいタテルは山下公園に向かう。少し左を見れば大さん橋の国際客船ターミナル。船出の地である。そういえば京子に用意された卒業曲はまさしく「船」を描いている。これから京子が演じる壮大な冒険譚の始まりを思い、タテルは早速涙を堪えきれなかった。

  

差し入れを購入し愈々横浜スタジアムに入ったタテル。バックヤードを訪れ差し入れだけ置いていくと、自分の席があるウィング席にそそくさと向かっていった。綱の手引き坂アンバサダーという肩書きがある以上関係者席にいても良さそうなものを、タテルは「いちファンとして観覧したい」という姿勢を崩さない拘りを持っている。

  

「あれ、京子ちゃんとYouTubeやってるタテルさんじゃないですか?」タテルの隣席に来た大久保という名の男が話しかける。
「僕のことご存知で。ありがとうございます!」
「関係者席には座らないんですか?」
「いいんです、僕にはこの距離感が合ってる。近くで観たい人はいっぱいいますから」

  

宵の入口なる18時。卒業コンサートが始まってしまった。早速ソロ曲を熱唱する京子。タテルはもう泣いていた。さらに後輩の曲に京子が参加しているのを見ると、一匹狼で他者を寄せつけないイメージのあった京子が後輩と仲良くなれている事実にまた泣いてしまう。

  

その後も思い出の曲や冠番組発の曲を披露し、マブダチと戯れる京子の姿に笑い泣くタテル。そしてアンコール前最後の楽曲は自身初の表題センター曲。綱の手引き坂に改名して以降、人気メンバーであるにも関わらず貰うまでに3年かかった表題曲のセンター。低音ヴォイスの映える力強いメッセージソングで、京子にとっては宝物のような曲である。今まで堪えてきた京子もとうとう涙に声を詰まらせた。

  

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