不定期連載百名店小説『カクテル歳時記を作ろう!』終戦の日SP 三夏「スカイダイビング」「クォーターデッキ」(数寄屋橋サンボア/銀座)

女性アイドルグループ「TO-NA」の特別アンバサダー(≒チーフマネジャー)を務めるタテル(27)は、グループきっての文学少女・クラゲ(22)とバーを巡りながら「カクテル歳時記」なるものを作ろうと試みている。
○ルール
一、カクテル(またはフレッシュフルーツ)の名前がそのまま季語となる。よって通常の俳句における季語を入れてしまうと季重なりとなる。
一、各カクテル・フルーツがどの季節の季語に属するかは、材料の旬や色合い、口当たりの軽重などを総合的に勘案し決定する。

  

とある事情で長期不在中のタテル。クラゲはある日、タテルの遺していたノートを手渡された。そこには俳句の種が多数記されていて、その中でも「終戦の日に詠みたいカクテル」の項は特に強調されていた。戦後80年という節目の年、日々テレビで流れる戦争の話題に触れていたクラゲは他人事ではないと思っていた。タテルの代わりに終戦カクテル俳句を詠もうと決め、前も訪れた数寄屋橋のバーに向かう。

  

開店時間の15時を少し過ぎた頃、扉を開けると中には誰も客がいなかった。いつもであれば誰かしら常連客がふらっと入ってきて氷なしハイボールを頼む声がするものだが、今回は後客も現れず、クラゲ自身も重いテーマの俳句を作るとあって、バーテンダーと話す気分では無かった。終始黙に包まれながらカクテルを味わう。

  

タテルのメモには様々なカクテルの名前が列挙されていたが、特に戦争話と馴染みそうな2つのカクテル名に大きな丸がしてあった。クラゲはその2杯をマストとして、他に果物のカクテルがあればそれも飲むプランを立てていた。
「果物のカクテルは何がありますか?」
「今日は桃かパッションフルーツですね」
考え込むクラゲ。西瓜であれば、畑の原風景と戦争のコントラストが何となく浮かんでいて句に落とし込めそうである。しかし桃は(当然昔からあるが)些か現代的な果物であり、パッションフルーツも南国らしさはあるが句を整えられる自信が無い。結局最初はタテルが推薦したスカイダイビングを戴くこととする。

  

ベースはバカルディのホワイトラム。そこへライムとブルーキュラソーを加えシェイクする。青い酒であり甘いイメージがあるのだが、いざ口にしてみると予想に反してドライで重い。戸惑いを見せるクラゲだが間も無くそれは俳句に込める詩情へと昇華される。

  

青空を思い浮かべる色合いとは裏腹に味わいはずっしり。戦争の時もきっと空は青かったのだろう。でも空襲などの脅威に満ちていて、重苦しい青空であったことは想像に難くない。

  

タテルのメモを見てみると、捉えようによってはこのカクテルに対し新たな反戦要素を見出すことができるとしている。

・ラムについて
バカルディラムの創業地はキューバ。キューバといえば、米ソが核戦争一歩手前まで至ったキューバ危機を連想する。核の悲惨さ・卑劣さを表現する時、ラムベースのカクテルにそれを委ねるのは意味のある行為なのかもしれない。
・色(青)について
青の補色(それが何色かは此処では書かないことにする)が今、戦争や核を容認する思想の象徴のようになっています。これらは大多数の国民からしたら危険な考えですが、一方でそう思いたくなる事情があることも酌んであげるのが平和的なやり方というものです。補色という関係性はそれにまさしく当てはまる、なんていうのは考えすぎですかね。

  

これらを踏まえ敲き台を作成する。

  

核の無い世界へスカイダイビング
素直に詠むとまあこうなる。ただ前半は「核無き世へ」と6文字で言えるものであり、句全体が間延びした印象を受ける。もう少し重さを足したい。

  

核はもう御免だスカイダイビング
強い表現になった。強すぎるかもしれない。直情的に投げかけることはこの作品においては有効ではあるが、もう少し詩情を出したいところでもある。

  

核無きは美しスカイダイビング

  

助詞を「は」にするか「が」にするかで悩むクラゲ。何となくではあるが、「は」の方が自分の思いを直で伝える格好に、「が」の方が「核がある世界は美しくない」という裏の主張が想起されやすい。文学としては、「が」の方が落ち着きを残しつつ想いを伝えられると判断した。

  

核無きが美しスカイダイビング

  

引き続きタテルの選定したカクテルを注文する。クォーターデッキ。ラム酒とライムを使うあたりスカイダイビングと材料は被ってしまうが、タテルの遺志を受け取り、終戦の日シリーズを成すことを優先する。

  

シェリーもスイートではなくドライを使用しており、「何も無い」の究極形とも言える口当たりである。それはつまり、「焼け野原」「焦土」を取り合わせろ、ということである。

  

「デッキ」から戦艦ミズーリを連想した。日本の降伏文書は9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で調印された。これを以て日本は平和な世界への歩みを始めた。焦土からの復興、高度経済成長。もはや戦後ではない、とまで言われるくらいの回復を見せた。しかし時代の進みと共に、戦争を過去の話だと他人事のように捉える人が増えた。今の平和が当たり前ではないと、改めて伝承しなければならない。

  

何も無い味、とクォーターデッキを評したがそれは変な話であり、時間が経つにつれシェリーの顔立ちとラムの香りが顕になる。この段階に至った時、クラゲの頬を一筋の涙が伝う。バーテンダーは恐らくその涙を視認したようだが、何か訳があるのだと判断しそっとしてあげた。

  

クォーターデッキ焦土に未来の礎を
降伏文書調印から復興への足掛かりを描いた句が敲き台として生み出された。「未来の礎」が概念的すぎて、俳句というよりはスローガンに聴こえてしまう。先程の句がそういうものであったため、2句目はより文学的なものにしたい。
その時クラゲは、平日昼の再放送枠で流れていたドラマ『はだしのゲン』を思い出す。原爆で焼け失せた家の跡に、失った家族の人数だけ生えた麦は、強い生命力の象徴である。これを句に取り入れてみる。

  

クォーターデッキ焦土に未来の麦植える
「未来」と「麦」が被るような気がした。麦が育つ、という事象に「未来」は含まれていると判断した。

  

クォーターデッキ焦土に平和の麦植える
「麦植える」が寸詰まりであると思うクラゲ。その時、勉強のために持ち歩いている文語文法の本を取り出す。口語における「植える」は、文語の場合よりスリムな言い方になることを朧げながら覚えていた。

  

クォーターデッキ焦土に平和の麦を植う

  

中八は語順を変えて「平和の麦を植う焦土」とすれば解消するが、「焦土」を最後に持ってくるとそっちの印象が強く残り、希望を表現する意図と反する。「しょう」という2音は比較的1音に近い2音なので、字余りもそこまで気にならないだろう。天秤にかけた結果、これにて完成と判断した。

  

4千円と少しを払って店を出る。見送るバーテンダーに一礼すると、目から涙が溢れ出すクラゲ。それは戦争に対する憎しみ、悲しみだけによるものではなかった。自分1人で句を作り上げた感慨、そして無実の罪で収監されているタテルへの想いで溢れていた。

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