女性アイドルグループ「TO-NA」の特別アンバサダー(≒チーフマネジャー)を務めるタテル(27)は、グループきっての文学少女・クラゲ(22)とバーを巡りながら「カクテル歳時記」なるものを作ろうと試みている。
○ルール
一、カクテルの名前がそのまま季語となる。よって通常の俳句の季語を入れてしまうと季重なりとなる。
一、各カクテルがどの季節に属するかは、各カクテルがどの季節の季語に属するかは、材料の旬や色合い、口当たりの軽重などを総合的に勘案し決定する。
5月も終わりの新橋。温暖化のせいか真夏の心地で、タテルはすっかり薄着を着こなしていた。
「タテルさん、お待たせしました!」
「クラゲ、遅いぞ」
「すみません、キラリンに教えてもらった足つぼマッサージの店行ったら気持ち良すぎて、10分延長してもらっちゃいました」
「まったく。おじさんのすることじゃん」
「でも本当に気持ち良いですよ。今度タテルさんも行きましょう」
「そりゃ行くぜ。人が足つぼ受けてる動画見るの好きだから」
「タテルさんも受けてくださいね」
「痛くないやつで」
「本当に良いんですかそれで?痛い方が笑い取れますよ」
「リアクション芸とかしないから!痛くやるのは違う!」
新橋駅から銀座方面へ歩き数寄屋橋のバーを目指す。そこは銀座駅が最寄りではあるものの、新橋駅からも遠くはなく、線路沿い(コリドー通り)を1本東側に入った道を歩いていく。
「今日は恐らく立ち飲みになるけど、足つぼ受けてきたから楽勝だよね」
「立ちですか……できれば座りたいですけど」
「立ち飲みで鳴らしたバーだからね。まあテーブルもあるけど、俺は立つつもりだ」

開店時間の15時を少し過ぎたくらいであったため先客は居なかった。そのためテーブル席も空いていたが、タテルの流儀に従って2人ともカウンターの真ん中らへんに立つ。
「今日の1句目はフレッシュフルーツのカクテルを詠もうかな」
「フルーツカクテル!それは美味しそう」
「日本のバーでは定番なんだ。カクテルの知識持ち合わせていない人でも頼みやすい。ただカクテル歳時記を作るにあたっては難儀があるんだよな」
「難儀……」
「追って説明する。すみません、季節の果物は何がありますか?」
「今ですとメロン、ゴールデンキウイあたりがお勧めです」
「私メロン飲みたいです」
「賛成。真夏よりかは初夏のイメージあるしね」

メロンの絞り汁をジン(もしかしたらラムだったかもしれない)、そしてバニラエキスと混ぜて炭酸でメスアップする。メロンの味が驚くほど濃く、瓜のニュアンスも覚える。
「さて懸念点だ。このカクテルの名前は何だろう」
「私は全く詳しくないのでわからないです」
「詳しくても多分答えられない。メロン味のカクテルレシピは珍しい。ミドリというメロンリキュールはあるけど、主役を張るレシピは少ない」
「なるほど」
「そこで新ルールを設ける。カクテル歳時記にはカクテルの名前の他、果物の名前も季語として含んで良いことにする。今回はメロン、季節は初夏としよう」
「あれ?メロンって、今ある歳時記にも季語として載っていそうですけど……」
「そうだよ。しかも初夏じゃなくて晩夏。でも現代だとメロンは5〜6月が最盛期だと思う。7月8月を本格的な夏とすると、メロンは初夏に当てはめると皆納得するんじゃないかな」
「伝統的な俳句の歳時記から逸脱したやり方ですね。でも面白いと思います。アップデートは大事ですものね」
「そうそう。なるべく現代人が直感でわかるように仕立てたいんだよね。そのためには多少の崩し、あっても良いんじゃないかと。じゃあ初夏のメロンカクテルで1句、いきましょう」
真(まこと)なるメロンソーダや路地のバー
「メロンソーダ、と聞くと実際はメロンの味じゃないことが殆ど。だけど今日のこれは正しくメロンのソーダ。そんなメロンソーダに出会えたこのバーの情景を下五にポンっと置きました」
「うーむ」
「初夏らしい雰囲気を出したいんだよね。暑いっちゃ暑いけど外気を取り込む分には十分涼しい、みたいな」
「となると、路地のバー、という表現は解像度が低いですね」
「気づいたか。そうなんだよ、もっと深みある表現にしたいんだけど……」

このままだと膠着状態になりそうであったため、水入りならぬ酒入りとする。このバーは氷なしハイボールが名物であり、月毎にベースとなるウイスキーおよびそれに合わせる摘みを変えている。5月はグレンファークラス8年、カバランNo.2、(ウイスキーではないが)ピスコの3種類。暑い時期のため台湾ウイスキーがしっくりくる。よってカバランを選択した。謳い文句にはハーブ・ウッディ・スパイシーとあったが、フルーティな味わいに捉えるタテルのいいかげんな舌。

合わせて提供される摘みはレーズンと書いてあったが、出てきたのはえびせんであった。海老の香りにみりんの甘みが効いていて素晴らしい摘みである。
「ちょっとデフォルメが入りますが、こういう表現はどうでしょう?」
真なるメロンソーダやテラス席
「なるほどね。実際はテラス席ではないけど、初夏の風を浴びながらメロンソーダを飲むという世界観を表現するには効果的だ」
「ありがとうございます」
「でもやっぱり、バーとか酒場とかの要素も入れたい」
海街のバー真なるメロンソーダ
「メロンソーダを後半に持ってきて、前半に描写のゆとりを持たせた。これはいわゆる『破調』というテクを使っていて、五七五のリズムではなく、前半7音後半11音という二段構えになっている。まあ1音字余りしているが」
「こういうやり方もあるんですね。五七五に慣れた身としては、驚きと少しの戸惑いが……」
「まあ五七五に収めるのがベストだし、戸惑う気持ちもわかる。横尾くんは最近破調に走りすぎている」
「それはちょっとわからないです。あとすみません、ほんまもんのメロンソーダであることを表現する上で『真なる』は効果的なのでしょうか」
「また痛いとこ突かれた。そこも手直ししたいと思っててさ、考えてはいるんだけど……って待てよ、ソーダって夏の季語じゃん!ずっと俺は季重なりしていた……」
メロン濃しバーのテラスに恋の風
「ガラッと変わりましたね」
「バー、テラス、風。さっき入れたかった要素が全て入った上に『恋』までしちゃった」
「季重なりに気付けて良かったですね」
「えーっと、でも『恋の風』がわかりにくい気もするな。『恋呼ぶ風』としたいけど、『バーのテラス』との兼ね合いを調整したい。後者を短く呼称して……」
メロン濃し恋呼ぶ風のテラスバー
「テラスバーは少々無理矢理な表現かもしれないけど、カクテル俳句をやる上で敢えて積極的に使いメジャーな言葉にする、という気概を持って認めることとする」
「新しい言葉を作ろうという姿勢、格好良いと思います」
「よっしゃ!これで載せましょう。じゃあ2句目、ここは店員さんに訊ねてみよう。すみません、クラシックなカクテルで今の季節お勧めのものってありますか?」
「そうですね、色合いとかも考えるとモッキンバードですかね」
「ああ、あのエメラルドグリーンの。ミントが入ってる」
「左様でございます」
「良いかもね。思いっきりミント味だけど、クラゲ大丈夫?」
「はい。ミント大好きです!」

ミントの香りに甘やかさをプラスしてお届け。ベースとなるテキーラの旨味もまたこのカクテルの要となる。
「清純派アイドルの見た目をしているが、芯があるから俳優としても名作に携わることができる。そんな人物を表現しつつ、季節感も大事にしたい」
モッキンバードいま清純のさなぎ脱ぐ
「歌謡曲の雰囲気ありますね」
「よく気づいた。そう、耳馴染みの良い歌謡曲を歌っていたアイドルが、セクシーとかシリアスな役どころを演じる俳優に進化する。その様を羽化に喩えた」
「解ります」
「拘りポイントは『さなぎ』かな。漢字で書いてもいいけど、実際の蛹とは違う概念的なものだからひらがなで暈す。それに口にするもの描写しているのに虫を取り合わせるのはタブーだし」
「でも待ってください、モッキンバードって鳥じゃないですか。それなら虫の羽化じゃなくて、鳥の孵化に持っていけば良いのでは?」
「確かにそうだな。鳥で揃えた方が綺麗だ」
モッキンバードいま清純の殻脱がん
「こうすれば、意志の助動詞『ん』を導入することもできてより意味が載る。グッドグッド、指摘ありがとうクラゲ」
会計は6,510円。TO-NAハウスでのたこ焼きパーティが控えているため、梯子酒はせずに帰ることとする。
「今日ってみんな出かけてる?たまの休みだから自由にしたいだろうと思って」
「たしかヒナさんとコノさんはピラティスですね」
「いいねえ。足つぼも良いけど、ピラティスもやろうかな」
「またどうして?」
「銀座の太っちょフレンチシェフがやってるらしい。俺がやっても何ら可笑しくはない」
「それは良いんですよ。でもタテルさんのことだから、メンバーと一緒に行きたい、とか言い出さないかと。……あれれ、図星ですか?」
「図星かなああ図星かな図星かな」