人気女性アイドルグループ・TO-NAへ、秋田県から直々にフェス開催のオファーがあった。TO-NA特別アンバサダー(≒チーフマネジャー)のタテルは二つ返事で受諾し、特別な想いを持って準備を進める。
フェス当日。タテルらの熱意により、田なかはもりそば・比内地鶏汁そば・蓴菜そばを引っ提げ出店。本格的な蕎麦の味わいが大好評であった。ここに秋田杉ジンソーダを合わせる人も多く、木の香りがすごい、口の中が不思議な空気に包まれる、などと話題沸騰。土産として買って帰った人も多かったと云う。
秋田といえば米も外せない。ブランド米・サキホコレを、選べるご飯のお供と共に食べる。その中でも来場者の度肝を抜いたのが「ぼだっこ」。文庫本の活字1文字分にすら満たないサイズ感ながら塩気が凄まじく、熱中症対策に良いかもしれない、なんていう声も上がった。
アトラクションもTO-NAの色、秋田の色が出た物が多数。ど真ん中を撃ち抜けばレジェの甘々ヴォイスが聞けるストラックアウトには、エキシビジョンマッチとして金足農の投手が挑戦。1球目は左の的に逸れてしまいアリアのにしおかすみこヴォイスを流す羽目になってしまったが、2球目は見事修正し観客を驚かせた。
そしてこちらはおでんの屋台。暑い日に熱いおでんは食べられないため特別に冷やしおでんを提供している。
□□□□□□
タテルが出店を依頼したおでん屋は、川反の南の方にある「さけ富」。この辺りまで来るとボロボロのビルやいかがわしい店が増えてきて、車通りも何故か激しく歩くのが怖くなってくる。橋の反対側(東側)を南下した方が安全であろう。その際裏からでもさけ富の看板は確認できる。

開店と同時に入店。入口は低めになっており、腰を折らないと入れない。その先には店主と思しき男性と30代くらいの男性店員のみが居た。事前知識によるとここでは矢絣の女性がもてなしてくれる、ということだったため一瞬戸惑うが、いや待て、ここは百名店に選出されているおでんの名店だ、店主拘りのおでんと酒を愉しめ、女と戯れることを主目的とするなど美食家を志す者として不健全である、と襟を正す。

最初に店主から麩を浮かべた出汁が供される。鰹と昆布をベースに、白神山地の伏流水と男鹿の塩、隠し味にしょっつるを使用した出汁。おでんにしては薄味で、流石のタテルでももう少し息をついてからでないと良さを吟味できない様子である。

日本酒のメニューは、レア物の取り扱いは最低限ではあるが県内産のものが充実している。しかしここまで日本酒を飲み続けていたタテルは、一旦ニテコサイダーの酎ハイを注文した。ご当地サイダーの味でスカッと軽く喉を刺激するつもりであったが、思ったより酎が濃くてグビグビとは飲めない。それでもラムネみたいな爽やかな香りに安らぎを覚える。

飲み物が来る前にお通しが登場していた。1,320円とお高めではあるがその分品数は豊富。見えているだけで5品、わかさぎ佃煮の載る葉の下にはたしかコハダの味噌和えが入っていた気がする。しかし全体的に味気なく感じたタテル。刺身には刷毛で醤油を塗るよう言われるが、普通にどっぷりつけて食べたい。お通しは安く1品にして、銘々好きなおでん・一品料理を選ぶ余地を残しておいた方が良いと思う。
おでん種はメニューに多数記載されているが、食材のプレゼンテーションも共に行われる。食材を目の前にすると何もが魅力的に見えるもので、あまり時間に余裕は無いのだが色々頼んでしまう。

一番の目当てであったかに面。冬以外でも食べることはできるが、日によっては在庫切れのこともある。今回は無事ありつけた。2千円する高価な種ではあるが、蟹の身がぎっしり、旨みもあって満足である。
薄味のおでん出汁であるが、冷やせば旨味成分がキリッと立つのではないかと踏んだタテル。そうなったらフェスで冷やしおでんを提供してもらいたいところである。
「夏場でもおでん食べられる方、多いんですか?」
「冬ほどではないにせよ多いですよ。今は他にお客さんいませんけど、遅い時間になれば大盛況です」
「素晴らしいですね。この出汁、冷やしても美味しそう」
「冷やす?やったことないですねそれ」
「個人的感覚なんですけど、昆布や節の味が立つと思います。讃岐うどんの出汁で感じたんです」
「どうなんだろう?やってみようかな」
「もしうまくできたら、夏にTO-NAというアイドルグループが中央公園でフェスやるので、出店してほしいんです」
「我々が?いやぁ、急に言われても」

おでんが続々と仕上がる。この時は未だ春だったため、筍は外せないと云うタテル。落ち着いた出汁の中で素材を味わえるが、甘みはそこまで感じない。

アスパラは発色が良い。こちらも甘さは少し感じつつ、主に青みを楽しむものである。
日本酒のグラスは1合の半値である。浅い摺鉢状のグラスになみなみと注がれ、零さず手元に運ぶのが難しい。半合(90ml)は無さそうであるが、1つ1つを少量にして色々な銘柄を飲めるのは有難いシステムである。

チトセザカリ純米吟醸の水色。液は黄金色であり、流行りの透明感ある味わいとは違う、少し熟したニュアンスを覚える。
ここで漸く、矢絣の着物の女性が登場。しらたきさん、おすすめの日本酒は阿櫻。これを見ると次の酒は阿櫻しかない。さあそして彼女に話しかけるべきか。さすが秋田美人、TO-NAに入ってきてほしい女である。しかし晩生なタテルは話しかけることを躊躇する。

店主の勧めに従い注文した大根だが、某海鮮居酒屋の出汁染み染み大根には及ばなかった。一方でキリタンポ袋が絶品である。餅の代わりにきりたんぽを使用、芹や比内地鶏も確り入っており再現度が高い。これこそ絶対に食べておきたい種であり、フェスで飛ぶように売れ開始1時間で完売する画が浮かぶ。

グラスだと酒の進みが速い。しらたきさんの勧め通り阿櫻の袋吊りを。比較的甘めだがキリッとした一面もある面白い銘柄である。
「阿櫻は東京でも飲みましたよ。青山の高級寿司店で提供されたんです」
美味しい日本酒のお陰で、しらたきさんとの会話を開始できた。タテルの殻を破るきっかけはいつも飯か酒である。
「へぇ、それは喜ばしい!」
「日本酒お好きなんですね」
「はい。実を言うともっと辛口のものがあってそれが好きなんですけど、欠品してて」
「辛口が好きなんですね。寿司に合いますよそういうのは」
その後も店員が続々とホールに入場。名札には皆おでん種の名前が記されている。つまりしらたきさんも本名ではなく、ただ白滝を好む女の子である。因みにスタッフに飲ませる酒も頼めるらしく、ガールズバーよろしく酒を酌み交わすこともできるのだが、そういう戯れはサザンの曲を聴いて想像すれば良い話なのでタテルはしない。

きりたんぽ巾着の次にタテルが気に入った種はあおさ。海藻の旨味は控えめな出汁にぴったりである。

もう1杯日本酒を追加したタテル。花邑はフルーティながらもやはり切れた一面がある。秋田の日本酒は可愛さを孕んだ美人である。
「TO-NAってグループ、知ってます?」
「TO-NAははい、知ってますよ。メンバーさんの名前まではわからないんですけど」
「実は俺、TO-NAのスタッフやってまして。名刺渡しますね。大将がもし許すのであれば、フェスのお手伝いしてくれます?ライヴにも招待しますしフードチケットもまけておきます」
「やりたいです!大将、どうですかね?」
「お手伝いなら好きにして良いんじゃない?行ってきなさい。僕は店開けないといけないから、出店やるなら早めの撤収になるけど良い?」
「17時にライヴが始まると皆そっちへ行くので出店はお終いです。このおでんなら15時くらいには売り切れると思いますよ」
「やってみるとするか。ただ冷やし出汁、上手くできるかはわからないよ」
「ありがとうございます!あともう一つご相談が…」
「あ、そろそろバスの時間ですよ」
秋田駅から空港へ向かうバス停は徒歩5分かからないくらいの場所。時間には余裕がだったが、店主は早めに動きたがる人であり会計を促した。
「最後に稲庭うどん出すのでパッと食べていって」

稲庭うどんとは言われたが、麺の見た目にムラがあり、量も少なくて惰性でかき込む。まあ無料なので文句を言ってはいけない。
好き勝手おでんや酒を頼んだ結果、会計は1万円を超えてしまった。10品盛り合わせにすればお得なのだろうが、かに面の誘惑には勝てない。もう1時間滞在して、おでん以外の一品や甘味、更なる酒を頼みたかったが、そんなことしたら会計は2万を超えてしまう。もう2割くらい安いと通いやすいのだが。
□□□□□□
おでんの屋台が突如響めきに包まれる。なんとさけ富のユニフォームである矢絣を纏ったメンバーが現れたのだ。
「TO-NAのコノ改め、かに面ちゃんです!1人1食、20食限定!かに面食べてくださいな」
この矢絣チャンスは都度メンバーを変え2日間で7回(本当は1日につき4回であったが初日は4回目発動の前に完売)発生、ファンを大いに沸かせた。
こうやってフェスは順調に開催されている訳だが、ここに至るまでの道はどう考えても平坦ではなかった。帰京したタテルを次々と襲ったのはヘイト煽動メディアCLASHの執拗な下げ記事。それはやがてタテルの希死念慮を誘き出し、止めようとしたTO-NAキャプテン・グミが代わりに重傷を負った。タテルはその現場に唯一居合わせた人として逮捕され、あきたフェスの開催は夢のまた夢となった。それを裏で操るのが野元とサヤコであった。
「多様な魅力あふれる秋田で、多様な個性を持つTO-NAがフェスをやる。個性が生み出す虹を観にきませんか……だってよ。笑っちゃうね」
「なんて安っぽい謳い文句。虹を使えばそれっぽくなるだろ、という魂胆丸見え」
「よくわかってるよ。僕は虹が大嫌いだ。虹を綺麗だと思う人は何もわかっちゃいない。多様性に縛られ、その産物たる虹を愛でるなんて息苦しい真似、御免だね」
「余計な色は不要。TO-NAは観客にペンライトを握らせ、座った場所によって点灯する色を指定するんです。なんて押し付けがましい」
「安心しなさい、もうそれも終わりだ。タテルは捕まった、TO-NAは崩壊へ一直線。これで虹を観なくて済むな、同調圧力が生み出す穢らわしい虹を」