人気女性アイドルグループ・TO-NAへ、秋田県から直々にフェス開催のオファーがあった。TO-NA特別アンバサダー(≒チーフマネジャー)のタテルは二つ返事で受諾し、特別な想いを持って準備を進める。

fでのディナーを終えたタテルは疲労の色を隠せずにいた。しかしこの後はバーの予約がある。蔑ろにすべき店ではないため、少し部屋で休み、重たい体を引き摺って再び外に出る。すると雨が降っていた。小雨程度であったため傘はささずに店に向かう。

ここも2年前に訪れていたバー。帝国ホテルで修業後銀座でバーをやっていた先代が秋田に帰還し開業、現在はやはり銀座で修業した2代目が引き継いで営業している。秋田という地にありながら全国のバー界隈でその名が知られる、ハイソなオーセンティックバーである。ドレスコードの注意書きがやや物々しいが、襟付きシャツを着ていればまあ大丈夫である。
地元の夫婦と思しき先客が1組だけいた。タテルは席に座ると迷いなくヴァイオレットフィズを注文した。公式インスタによると、とある常連グループが必ず注文するらしく、この店においてはジントニックより定番のカクテルとなっているらしい。タテルも当然それを予習済みであり、ヴァイオレットフィズでカクテル俳句を作る心づもりまである。

なんとまあ美しい紫色であろう。そして口に含むと、ニオイスミレ特有の香りと甘みが炭酸と共にやってくる。先客の夫婦も興味津々であった。
「ヴァイオレットフィズって、一時期流行りましたよね」
「そうなんですよ。昭和後期に流行ってましたね」
「懐かしいな、と思って」
春の季語・ヴァイオレットフィズには、昭和や若かりし時代へのノスタルジーが含まれていることを悟ったタテル。秋田を題材にした中七下五を考えてみる。
ヴァイオレットフィズいつか秋田に帰らんと
秋田、という言葉は入れてみたが淡白すぎる。思い入れの無い人でも生み出せるフレーズであり、とても歳時記には載せられない。
「ご旅行ですか?」2代目マスターが話しかける。
「半分仕事、半分旅行です」
「そうなんですね」
「女性アイドルグループ・TO-NAのスタッフをしておりまして、実はこの夏秋田でフェスをやる予定なんです」
「へぇ、それは面白そうですね」
「県庁で関係者の方々と打ち合わせして、あとは観光しながらプログラムを考えようと。さっきfに行ってきました」
「ああfさん、有名ですね。どうでしたお料理?」
「食材の組み合わせが独特でしたね。でも秋田の食材が沢山で楽しかったです」
「そうなんですね」
「秋田の名店に出店してもらって、来場者に魅力を知ってもらえたら、なんて思っています」
「素敵ですね。若いファンの方も多いでしょうから、知ってもらえると嬉しいです」
「マスターにはフェス終わりのお客さんの受け皿になっていただきたいです」
「いつやるんですか?」
「土日月の3連休の、土日です。日曜休みでしたっけ?」
「休みですけど、やるなら開けましょうか?」
「1泊してから帰る人も多いと思うので、開けていただけますと幸いです!」
「了解しました。近隣のバーにもその日開けるよう言ってみますね」
改めて俳句の推敲に取り掛かる。ヴァイオレットフィズ+○○、という形にするとどうも映画のタイトルとサブタイトルみたいな体裁になってしまう。季語を後ろに持ってくるのはどうだろう。
川反にいつか戻らんヴァイオレットフィズ
下五が字余りとなっているが、上五中七を塊としてみれば釣り合っていなくもない。ただ「いつか戻らん」というフレーズが軽く感じてしまう。ここは夫婦に、昭和の川反について訊いてみることとする。
「昔は本当に歓楽街って感じだったね」
「そうそう、ネオンが輝いてた。キャバレーとかクラブとかあってすごく賑わってた」
「この辺は未だ賑わいありますけど、もう少し南に下ると空きテナントも多いですね」
「確かに物静かな印象を受けます。金曜土曜とかだったらもっと賑わうのでしょうけど」
「それでも人は少ないですね」
「ですよね。県庁の方も、秋田市は東北の県庁所在地で最も人口少ないって言ってました」
「日曜の夜なんて本当に静かですよ。店も殆どやってないし」
「看板や川からはノスタルジー感じるんですよね。それが却って魅力になっているとは思うんですが……」
川反のネオンやヴァイオレットフィズ
「ネオンが煌めく昭和からバブル期の川反を懐かしむ姿勢を季語ヴァイオレットフィズに託しました。それと同時に、今日本で最もヴァイオレットフィズを作っている説があるのがここル・ヴェール。ネオンのように発光して、現代の川反を牽引している。現代の川反も良いよ、というのを読み取ってくれたら最高ですね」
「フェスやられるんですよね?」
「はい。未だ公式発表とはなりませんが」
「来場者には、夜の川反も楽しんでほしい。せめて街並みだけでも」
「秋田を盛り上げる、創生する。これもフェスのねらいのひとつです」
1杯目を飲み干すのに30分近くかかった。続いてはこの日ストーリーズで宣伝されていたコスモポリタンを戴くこととする。

これまた綺麗な色である。液面をグラスの縁と同じ高さに揃え、ボウルの輪郭を正確に描き出す。上の方は少し透明で、下へ向かうにつれ赤が濃くなるグラデーション。こう綺麗に注ぐ技術が、この店を全国区にのし上げている一因なのかもしれない。
コスモポリタンとは「国際人」という意味であるが、「コスモス」と言えば「秩序」である。その反対はケイオス、つまり混沌。TO-NAは新メンバーを入れたが、彼女達の個性がクセスゴでありグループは混沌、批判の声も多数集まっていた。
賛も否もコスモポリタンに委ねる
「TO-NAに新メンバーが8人入ってきましてね、あきたフェスで本格的に先輩メンバーと合流して活動を始めるんです。個性強めで纏まりには欠けるのですが、それさえできればTO-NAの多様性は強化される。強くなったTO-NAを、秋田でお披露目します」
「そうなんですね」
「だからテーマは『虹』です。タイトルは『あきたフェス』で、サブタイトルに『虹』を含めようかと思います……ってすみません、ひとり喋りが過ぎましたね」
「いえいえ。フェスやってくだされば、秋田も盛り上がると思いますから」
「盛り上げたいですね。今ゆずさんの『虹』が脳内で流れてまして。何故か知らないんですけど、故郷を大切にしてほしい、という想いが湧くんですよ」
「故郷ですか」
「はい。TO-NAには北は北海道から南は福岡まで様々な場所からメンバーが集まっています。北陸や中国地方の人もいます。残念ながら東北はいないんですけどね」
「東北の人はあまり目立ちたがらないですからね」
「本当は欲しいんですよ。秋田は美人さんも多いですし。だからこそフェスをやって、TO-NAに入りたい、アイドルになりたい、でも自分なんかに務まるのかな、と尻込みしている人の背中を押すんです」
TO-NAのメンバーは過ちや挫折を数多く経験してきた。外番組で喋れなかったり、独立して干されたり、歌番組で先輩アイドルの曲をやったら音程が滅茶苦茶で炎上したり、生放送番組で失言や号泣といった粗相をしたり。新メンバーは性格に難がある、淫らな過去があるなどの理由で多くの大人から蔑まれてきた人ばかりだ。それでも彼女達は前を向いている。雨が上がれば虹が架かるように、過去や醜い現状に固執しすぎることなく未来を見据える。その姿勢を真摯に見せることにより、自分も一歩踏み出してみよう、と思ってくれる人が増えると信じて。
賛も否も呟けコスモポリタンに
多様性は尊重するものであるが、押し付けるものではない。TO-NAを彩りたい、という確固たる信念はあるが、この彩りが良いと思う人は黙って応援してくれるし、嫌ならそっと離れる。無理に嫌いだとお気持ち表明するのも、執拗に好きを布教するのも違う。自分の好みは自分で決める。もしどうしても押し付けたくなったら、コスモポリタンに託せば良い。
「クセはあるかもしれません。全員を魅了しようとは思わない。でも何かを感じて帰ってもらおうとは思う。一番の悪は、好きでも嫌いでもなく、興味ない、ですから」
「そうですよね」
「メンバー全員が個性を爆発させ、でも不思議と纏まったパフォーマンスを見せます。ひとつひとつの色が際立ちつつも秩序のあるもの、それが虹。天然やぶりっ子、芸術家にアスリート。酒飲みやあんこ好き、梅水晶好きにあなきゅう好き」
「渋いですね〜」
「そんな中でももっといろんな色が欲しい。秋田に育まれた色が欲しい。なんてことを考えながら、秋田を満喫しています」
50分かけて飲み干した。虹の終わりと始まりの色のカクテルを飲み、タテルは満足した。マンハッタンとかウイスキーとか、もっと飲みたいところではあったが、疲れていたこともあって早めにシャワーを浴びて休むことにする。
「秋田県民の方々には県民割がありますので、ちょこっとでも覗いてみてください」
「ちょっと見に行こうかな。車でも行けますもんね」
「駐車場も確保しておきます。是非気軽に寄っていってください」
外は大雨になっていた。
「傘持ってます?」
「持ってないです」
「じゃあこの傘、持っていってください」
「いいんですか?ありがとうございます!」
「忘れていく人多いんでね、誰かの手に渡った方が幸せだと思います」
「大事にします!」
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